火曜日, 5月 10, 2016

フレーベルの教育


フレーベルの教育

-ペスタロッチーとの関係に焦点を当てて-

 

長田新訳『フレーベル自伝』岩波文庫1994

※引用箇所の旧漢字は読みやすさを考慮して修正しています。

(  )内は著書にはない部分です。

 

フレーベルがその自伝でペスタロッチーについて最初に述べるのは、10歳のときにこれまで通っていた女子校からシュッタトイルムの学校に移った際に、どのような授業であったかを述べる箇所である(p.29)。そこでの教育はフレーベルにとってあまり意味のないものと思えたが、算数については、家庭教師の影響もあり、ついには家庭教師の力を超えるほどになったという。しかし、23歳になってイヴェルドン学園にいったときに、生徒の解いている問題を解けなかったことが、改めてペスタロッチーの教授法を一から学ぶ必要性を感じさせることとなった(p.30

 

友人の紹介で出会ったグルーナーの薦めで、建築家を志していたフレーベルは教師となるが、その学校がペスタロッチーを信奉する教師たちにより運営され、フレーベルも少なからず影響を受けている。23歳のフレーベルは「電気でも通じたかのやうに益々私を感激させた」(p.74)といい、少年時代に父の家で読んだ「瑞西にはペスタロッチーといふ名前の四十歳ばかりのまったく世を離れて生活している人があって、今も自分自身でまた自分の努力で読み方書き方及び数え方を学んでいる、という風に私はそれを理解していた。」(p.75)という新聞記事が有益な影響を与えたと、述べている。

 

イヴェルドン学園への最初の訪問で得た収穫として、フレーベルは次のことをあげている。ひとつは、「一個の大きな学園の授業が一個の明確なまた確実に組織された教案にしたがって確実に行われているのを見た」というものである。すなわち、学校のビジョンに基づいて組織化され、体系だったカリキュラムに基づいて授業が行われる、という点にフレーベルは関心を寄せた。フレーベルは、同じ教科が同じ時間に教えられ、生徒が能力別に学級に分配されることが有効だと判断している(p.77)

先に述べたように、フレーベルはイヴェルドン学園の算数の成績に驚きはしたものの、クリュージーを主任として展開されていた方法があまりに機械的に習得させるところがあるとし考えた。そして、シュミットに対してより理解を示している(p.78)。トープラーの行っていた地理の授業にも一定の評価をしていたものの、やはり教え込みすぎるところがあると指摘している(p.79)。

フレーベルは、自分が感じたようにはペスタロッチーの愛情が学園すべての教師に伝わっておらず、学内対立の兆候が見えていた(p.81)

 

フレーベルは家庭教師をする中で、ペスタロッチーの『母の書』と結びつけた語学教授や、単位表を用いて数学を教え、イヴェルドン学園でみたときと同様の成果を得たと一定の成果を認めるものの、教え子が自分の言葉を最後まで聞かないうちに解答することなど、その方法に満足しているわけではなかった(p.84)。

 

こうした体験を経て、フレーベルは「自ら共に生活することが真正の教育である」と確信すると共に、「ペスタロッチーの打ち樹てた教授法は何を意味するか、一般に教授の対象はなんであるか」という疑問を持つ(p.97)。フレーベルは、人間と対象物の相互作用について考えをめぐらせながら、「全ては統一に基づき、統一から出発し、統一に向かって努力し、統一に至り、そして統一に還る」ということを、最高原理として思い浮かべるのである(p.98)。そして、ペスタロッチーの方法を認めつつ、人間を満足させる生動性については認めなかった、という(p.99)。フレーベルは、真の教育とは、「快適で自由な行動は、全身を一個の統一として看取することから湧き出てくる。万有の本質によって制約され且つ万有のうちに安住する生活であり行動である。」(p.99)と考え、生活の中に自分の教育活動が存在するとした。

 

再びイヴェルドン学園に向かうフレーベルは、その教授法でなく、より生活面に着目する(p.109)。フレーベルは、自分の生徒をその生活に参加させることに熱心になると共に、ペスタロッチーと議論を交わし、各教科の出発点、その根本を理解することに努めた(p.111)。そこで、フレーベルはペスタロッチーの言葉や談話のうちにある力強さ、人を高め刺激し、一段と高い気高い生活の実現に導く力を感じる(p.111)。しかしながら、ペスタロッチーとイヴェルドン学園の教師たちの献身を認めつつも、フレーベルは自分の求めるものを見出すことができないとして学園を去る。ペスタロッチーの信仰に感動を覚える人たちがいるものの、フレーベルにとって大きく訴えるものではなかった(p.113)。ただし、遊戯と関係するものとして散歩を挙げ、イヴェルドン学園の青年たちの道徳力の根源にペスタロッチーに伴われて歩くことが影響していると述べている(p.116)。

 

 

荘司雅子『フレーベルの生涯と思想』玉川教育新書1982

 

デューイはフレーベルの神秘主義や象徴主義を批判しながらも、児童中心主義や進歩主義教育の源流をフレーベルに求めている(p.4)。

 

フレーベルが一回目のイヴェルドン学園訪問から帰った後で、模範学校で学んだことを実践に生かしている。9歳から11歳までの男子40名ほどを対象とした。学校としては、週に一度は生徒と共に郊外に出て生徒に好きなことをさせていたが、フレーベルは植物の世界に親しませた。また、丘に上がり、フランクフルトの町を中心にして測量したものを砂の上に縮図を描き、これを覚えて帰り、学校で教師と生徒が共同して地図を描くということも試みた。幾何の授業でも、線の平面関係や立体の空間関係を簡単なものから複雑なものへと順に理解させ、実際に書かせながら教えた。フレーベルの授業は多くの人の賞賛を得た(pp.45-46

 

ホルツハウゼン家の家庭教師となったフレーベルは、ルソーがエミールで描いたような教育を計画し、田舎で三人の男の子たちと共に暮らす。散歩をしながら自然に対する感覚の発言を養い、花を植えて育て父母や教師に送り、人間と自然の生命の結合を感じる日々を送った(p.48)

その子どもたちをつれて、フレーベルは半ば教師として、半ば生徒として二度目のイヴェルドン学園滞在に向かう。この滞在を通じて、フレーベルは子どもたちの遊び、特に戸外での遊びを研究した。そして、遊びが子どもたちの精神と心情、身体を発達させ、強くするための力を持っていることを知る(p.52)。中でも、ペスタロッチーとの散歩を通じて、散歩のもつ高度な意義を発見する。自然の中にあるだけで自然は人間を高め、力強くし、純粋にする力を持っている(p.53)

 

『人間教育(人の教育)』は基礎論と各論からできている。基礎論では、紙と自然と人間との関係を明らかにし、人間の本分、教育の目標、教育原理を述べている。

「万物の中には、ひとつの永久不滅の法則が存在し、これが万物を生かし、且つこれを支配している。」から始まる冒頭の一説がフレーベルの世界観や人間観を象徴している。フレーベルの世界観は神的統一に基礎を持ち、万物の生命は神によって統一されているというものである。

フレーベルの教育思想や教育方法の基礎的原理は自己活動にある(p.82)。フレーベルは、教師からの積極的な働きかけと同時に、生徒からの言うことを受け入れる、生徒を規定すると同時に生徒を解放する、固定的でありながら稼動的なものとして教育をとらえた。フレーベルの教育法は、まず子ども自身に行動するするように導き、そして子ども自身にその行動を見つめさせ、それによって自己を知り、自己の力を知り、さらに自己の力を鍛えるように導こうとするものである。行動、つまり働きを通して、ものを作ることを通して、生産を通して、自己の内なる力を現すように指導することを強調している。すなわち、生徒のうちなるものを外に現させ、外なる事物に内面的な意味を見出させ、内なるものと、外なるものとの必然的な統一をはかるようにすること、また自然界の現象の内なるものを示し、精神的なものを外にあらわすように仕向け、両方を統一するように示さなければならない(pp.86-87)。

 

フレーベルは、人間の成長発達が連続発展的なものであることを指摘し、すでにルソーの『エミール』で描かれていたこの思想をさらに発展させている。それは、生命の発展の過程に人為的な境界や区画をつけ、内部からの自然の連続発展を阻害する態度を戒めるもので、それとは逆に、各段階、幼年期、少年期に固有の精神や心情、身体の要求にしたがって生活しぬくことで初めて幼年が少年に、少年が青年になると考えるものである(p.88))。したがって、フレーベルは、早くから幼年に特殊な教育をしてはならない、と戒めている(p.90)。ただし、フレーベルは、人間の労働や生産活動は精神的なものであると考え、早くから勤労と生産活動に向けた教育が必要であると考えていた(pp.91-93)。そのため、毎日一定の時間は製作などの活動に真剣に取り組み、その作業に関係する学習、すなわち生活による学習が必要であると考えた。そのために、あの教育遊具(恩物)が考えられたのである(pp.94-95)

 

(フレーベルのこうした考えが、デューイの実験学校の机にまつわるエピソードに連なっていると見出すこともできるだろう。)

 

基礎論でフレーベルが強調しているのは、宗教心と道徳性の芽生えである。幼児の微笑みは最初の共同感情の表れとフレーベルは考える。これは、真実の宗教心の最初の芽生えである(p.98)

 

『人間教育』の第二篇は幼児期の人間の発達と教育についてである。幼児はまず聴覚、そして資格が発達する。つまり、両親の話す言葉をまず認識し、形を認識する。子どもの感覚器官や身体、四肢の活動が発達して、自分から何かを表し始めれば、そのときが人間発達の乳児期が終わり、幼児期が始まる。そして、この幼児期の段階から人間の本来の教育が始まるのである。身体の保育や保護の面は少なくなり、精神の保育の面が増してくる。フレーベルが早期教育の創設者であるといわれるのは、この精神面での保育をさす。それゆえ、フレーベルは両親教育からはじめ、幼稚園を創り、恩物を創作し『母の愛と愛撫の歌』を表した。

 

(ここで、フレーベルの略歴を思い出せば、彼はこれまで少年たちと過ごした経験から、そして紆余曲折を経ながら歩んだ自身の経験から、幼児期に必要だと考える教育を考えたのであろう。)

 

フレーベルは、彼以前のどの教育思想家よりも幼児期の重要性を認めた人である(p.101)。心理学が発達していない時代に、現代幼児心理学の先駆的な予言を示している。例えば、幼児は環境の中で事物を観察し、その特性を言い表すようにさせるべきこと、事物相互の時間的・空間的関係を言い表せるようにすべきこと、ことばについて母音や子音をはっきりと言い表すべきこと、そのために環境整備が重要であることを指摘している。心理学では、この時期はアミニズムの時期であり、すべての物が自分と同じく生命を持っているとされるが、これについてもフレーベルはすでに指摘している(pp.101-102)。

フレーベルは、『人間教育』を執筆する3年前ころから、幼児教育の根本は幼児を遊ばせながら導くことであり、遊びを指導することだと考えた。フレーベルは言う。「ドイツ語で遊びをさすspielは、自分の内のものを自分から自由に表すこと、自分の内部の本質の必要と要求とに応じて、内を外に現すという意味の言葉である。」(なお、ドイツ語-英語辞書ではplayと訳される)。「遊びはそれ自身喜びであり、自由であり、平静であり、外界との平和である。」(pp.102-103)

 

ヘルバルト 『一般教育学』


ヘルバルト著・三枝孝弘訳『一般教育学』1960年明治図書

 

この本は3部構成であり、教育一般の目的、興味の多面性、強固な道徳的品性について述べられている。全体で200ページ程度の本書の中で、有名である「専心と致思」「明瞭 連合 系統 方法」が述べられているのは第二部の興味の多面性である。

「われわれが人を教育しようとしたり、教育してもらおうとする際に、どんなねがいをこめているかは、その際、その人が教育するということを一体どんなこと、どれだけのことと考えているかという、視野の大小によってちがうものである。」と始まる序論は、どれだけ手を施しても、社会からの影響の大きさに翻弄されてしまうという教育者の嘆きを紹介する。そして、ルソーは少なくとも「子どもを鍛えておこう」という視野を限っている点は評価するものの、教える目的が「生きる」こととされている点を不服としている。また、ロックは世の中にうまく順応できることを目指しているものの、子どもを世に立たせようと心がけている親にとって教育書などは価値がなく、もし足しになるとしても技巧の末節に堕落させるだけだと言い放つ。ヘルバルトが次に挙げるのは、子どもは世俗から逸脱はしてほしくないが、埋没もしてほしくない、と願う親である。こうした親は、自分の感情や趣味を時宜に会うように、よい加減に合わせてくれるような教師を頭の中に持っているのだという。では、果たしてそのための教育はどのようにして可能になるのだろうか。次の指摘は、今もなお教育学の根本にある課題を問いただす。「人々はみんな自分の経験をもとにしていっている。(略)教育によって一体何が可能であるか、何をどのようにして子どもたちと達成することができるか、ということをすべて、彼らは自分たちの経験からきめることができるだろうか。」(15ページ)

 

このように問いを立て、ヘルバルトは「どう教育しようとしているかを知ること」「人が何を欲しているかを見定めること」(18ページ)を出発点にする。「教育者にとってどこが大切であるべきか、ということが地図のように」(18ページ)、「このような地図を、どのような種類の経験を探し出し準備すべきかを知ろうと願っている未経験者のために」(19ページ)という点は、デューイの構想に少なからず影響を与えたと推察できる。(ここでは、デューイがヘルバルトをどのように批判したかについて述べる準備はない)

 

「どのようなことを目指して教育者は自分の仕事に取りかかるべきであるか、このような実際的な熟慮、つまり、われわれが今まで見通してきたことに即して選び出される具体的な方策にいたるまで、ともかく前もって詳述することが私にとって教育学の第一の反面である。」「これに対して第二の半面が当然存在するが、そこでは、教育の可能性が理論的に明らかにされ、また、その可能性は変化しやすい具体的諸状況に応じて制約されるものとして述べられるだろう。」(19ページ)という記述にこそ、ヘルバルトが教育学の成立上欠かせない人物たらしめたといえる。そして、「教育学は、教育者にとって必要な科学であるが、しかしまた教育者は、相手に伝達するために必要な科学知識をもっていなければならない。そして私は、この際、教授のない教育などというものの存在を認めないしまた逆に、少なくともこの書物においては、教育しないいかなる教授もみとめない。」(19ページ)という記述こそ、ヘルバルトをコメニウスに続く注入主義の立ち位置に置く根拠となった。

その記述の中に、すでに女性を下に見る視座が埋め込まれていることは、読者の歓心を呼ぼうとする今日の著述家にも共通していて(20ページ)、それはそれとして興味深いが、着目すべきは「教授のない教育」という問題と合わせて、「品性はどのようにして陶冶することができるだろうか」(21ページ)という点である。この品性と道徳に関するヘルバルトの記述こそ、古代から現代を貫く教育の課題である。

 

第一部     教育一般の目的

ヘルバルトは、この章を「子どもを管理することの目的と措置」の考察から始める。管理が有効になるためには、権威と愛が必要だと(37ページ)言う。これを父性と母性に対置すること(39ページ)について深く追求することはしないが、いかめしく権威を取り繕うのでなく、率直に子どもと関わり、愛を持って子どもと接する姿勢を説いていることには着目したい。「愛は疑いを好まないし、定言的命令を待たないものだ。」という結びは、いかにもドイツ人らしい堅苦しさをもった詩的表現である(4547ページ)。

 

第二部     興味の多面性

ヘルバルトは、ある物事に興味を持って取り組むこと(専心)から、別のことに興味を持ち、それらがどのように統合していくのか(致思)について、多面性というアプローチから考えをめぐらす。そして、それを可能とする教育的技術こそ教育的タクトの本質であるという(69ページ)。ヘルバルトは専心は交替し、致思に移行し、再び新しい専心へと移行すべきと考える(70ページ)。それは、つぎのようなプロセスを踏む。

まず、何かに専心するときは、不透明なものは教育者の配慮によって除かれ、多数の異なった専心が提示される(明瞭)。ある物事に専心し、他のことに専心することは、表象を連合する。そこには想像が漂い、様々な混合を試す。ここで対比することが大事となる(連合)。このようにして考えるとき、様々な物事の関係を見ている、ということとなる。ただし、これは一つ一つの物事が明瞭に把握されていなければ、その秩序は見えない(系統)。そして、ヘルバルトは、そのようにして把握した物事の系統、秩序、関係を発展させ、新しい分節を生み出し、徹底的な応用を喚起することまでを陶冶することが大事だと言う(方法)(7071ページ)。

ヘルバルトは、教授の段階について節を設けている(87ページ)。「専心は致思に先行すべきである」とし、教えるものにとっては、「本来の個は何であるかということを見出すこと」の困難さを指摘する(89ページ)。ヘルバルトは、先に挙げた教授の四段階についてここで説明を加え、注意、期待、要求、行動という段階を示す。そして、教授の分析的進行と総合的進行として、経験、思弁、趣味、人間への同情、社会に対する同情、宗教について述べる(118130ページ)。

 

「われわれは学校のためにではなくて、生活のために学ばなければならない」(138ページ)

ヘルバルトが取り上げたこの箴言は、フレーベル、デューイ、キルパトリックが場所と時を越えて繰り返し述べる。また、「思弁と趣味は、[致思]と人格の錨である」(139ページ)という言葉も、読む人の目を引く。

 

第三部     強固な道徳的品性

(割愛)

 

解説

 

ルソー エミール入門


吉澤昇・為本六花治・梶尾輝久『ルソー エミール入門』有斐閣新書1989

上・中・下はそれぞれ今野一雄『エミール』岩波文庫1997

 

ルソーにおける教育と人間の思想

『社会契約論』(1762) 「人間は自由なものとして生まれた。しかもいたるところで鎖につながれている」 =人間は自分達が作った社会と制度に縛られ、自由を奪われている。

→「自然へ帰れ」

→ルソーの思索の中心課題 一切の非人間的抑圧から自由になる人間の生き方と、それにふさわしい社会のあり方の探求

 

「生きること、それは呼吸することではない。活動することだ。」(上33)

→社会に囚われた人間への批判として架空の生徒を設定し、その理想的発達を描く

 

「わたしたちは学ぶ能力があるものとして生まれる」(上69」

→発達の可能態=学習の可能態

 

子ども 理性の眠りの時期 教育を受ける準備

 0-1歳 言葉以前の感覚の時代 

 ~12歳 自然と事物の掟を知る時期

 ~15歳 力が欲望を上回って発達する理性の目覚めの時期 

15歳~ 安らかな知性の時期 自律

 青年 第二の誕生であり危機の時代 

 成人

 

消極教育

 自然の歩みに沿い、子どもの発達段階に即したもの

 「大人が知っていなければならないことを全て子どもが学ぶ必要はなく、また学ぶこともできない」(上312)

 「時を稼ぐために時を無駄にすることを心得ていなければならない」(上236)

 「自然は子どもが大人になる前に子どもであることを望んでいる」(上125)

 

 「農夫のように働き哲学者のように思考する人間」(上364)

 

青年の発見と本格的教育の開始

 「わたしたちは二回この世に生まれる。はじめは存在するために、次には生きるために。一度目は類として、二度目は性として」(中5)

 

 自然の歩み 体と感覚の訓練 精神と判断力の訓練 感情→理性の完成

 行動し、思考する存在→人を愛する存在→社会的関係の中で、生得的感情としての良心に導かれ、有徳な人となる

 

 教師ー生徒→弟子ではあるが、友人でもある 真の教師の権威が求められる

 「生徒がいつも自分は主人だと思っていながら、いつも教師が主人である」(上191)というだまされた自由でなく、エミール自らその意思に基づいて従う。

 

 「話をしてもむだになるのは、たいていのばあい、弟子が悪いからでなく、むしろ先生が悪いからだ。衒学者も教師もほぼ同じようなことを述べる。ただ、それは衒学者はあらゆる機会に述べる。教師はその効果が確実と思われる時にだけ述べる。」(中232)

 

 「わたしたちの弱さそのものからわたしたちのはかない幸福が生まれてくる」(中26)→共苦と共感による連帯の思想 人間に共通の弱さと惨めさ、それに共感する心こそ人間の条件

 「理性だけが私たちに善悪を知ることを教える。」(上81)→良心は理性なしに発達しない

 

 エミールの最後の学習課題 政治体と主権の本質、国家の構成員として主権に参与する市民の義務 政治・倫理・歴史・旅行

 

『エミール』と現代

 ペスタロッチ、フレーベル、デューイ、クルプスカヤを仲立ちとし、障害児教育に身を置いたセガンやモンテッソーリの感覚教育論の中に引き継がれて、新教育運動の流れを作る。 

 


『エミール』は哲学的著作であり、実践的教育書ではない。したがって、本当にこのまま「自然」に教育することについては、ルソー自身は賛成していない。

思想としての「子どもの発見」は民族史的手法でたどったアリエスの研究にすでに見られる。しかし、ルソーの子どもの発見の重要な特色は、子どもに関する観察と事実の上に立って行われた実験哲学的な発見である点にある。そして、19世紀以降の児童心理学や発達心理学の発展の出発点を提供したところに、その本質がある。

 

1・2編

「造物主の手を出る時は凡そ全てのものが善であるが、人間の手に移されると凡ての物が悪くなってしまう」(上23)

→『エミール』は、自然と社会の相剋を問題として出発する

 

「あらゆる有用なことのなかでも一番有用なこと、つまり人間を造る技術(art)はまだ忘れられている」(上18)

→ルソーにとって、教育とはあくまでも一つの技術であり、無為自然のことではない。

 

子どもの魂のまわりに「垣根」を巡らすことから教育を始める→思考実験としての「垣根」=社会から隔離されていたと仮定して、どのような人間発達が理想か