金曜日, 4月 27, 2012

看護専門学校のための教育学3 教育とは何か 説明


このユニットで押さえておきたいことは、最初の二つの小見出しで説明される、形成、共同体のための教育、と、後で説明される<教育>とは違うものですよ、ということですね。なぜ、わざわざこうして<教育>とは別ものですよ、と分けるかというと、それは、13頁の「しかし」のあとで書かれているように、教育の何が問題か、ということを考えたいからですね。なので、どこまでが教育の範囲になるか、ということを決めておきたい。
14頁では、人が様々な人との関わりのなかで学んでいくことを「形成」と呼びましょう、と言っていますね。また、共同体、というものがあった時代には、その共同体を維持するために必要なことが教えられてきた、と書かれています。例えば、映画のトリックや金田一君とかの事件には、その村独自の掟を破ったから痛い目にあう、なんて話がありますね。それは感情とも結びついていた、とあります。
しかし、近代になってからは市民社会や国家という新しい共同体が生まれて、その共同体の一員を育てるために<教育>という営みが生まれてきた。

ジャン・ジャック・ルソー(スイス 1712)
テンポの良い名前とうっすらとしたヒゲが特徴。生まれてすぐにお母さんを亡くし、7歳のころにお父さんとお兄ちゃんも家を出てしまう。放浪生活の末、男爵夫人の愛人に。理性よりも感情を重視するのも分かる気がする。社会の授業では共同体や人民主権について書かれた「社会契約論」を覚えたけど、教育論「エミール」も教育学の教科書には載る。発刊当時は宗教的な部分で禁書にされたらしいけど。哲学者カントが読みふけってしまい、いつもの時間に散歩にでるのを忘れたという逸話がある。恋愛小説「エロイーズ」もあわせて読みたい。性的には問題のあったということ。童謡「むすんでひらいて」の原曲もルソー作曲。こんな破天荒な人が教育論で参照されるのだから、教育というのはとても懐の広い営みなんだね。
それまでは貴族社会になじむためのルールを覚える、というのが普通だったけど、子どもには子どもの自然があるので、その成長に応じた働きかけが必要だと言った。

フィリップ・アリエス(フランス 1914)
日曜歴史家と言われ、大学の先生でないけど、週末に歴史を研究してた。勇気をもらえますね。近代以降の子ども観の形成を研究。中世には子どもという概念がなかったという。
すぐにはイメージできない。ちなみに西洋史での中世は西ローマ帝国滅亡(476年)から
東ローマ帝国滅亡(1453年)くらいまで。ルネサンス以降が近世。封建制、農奴制が特徴。いわゆる「ベルセルク」の世界観。
話しを戻して、つまり近代の学校教育制度は大人と子どもを別のものと考えることを
当然だとしているけど、それってどうなの、と疑問を呈したのが「<子ども>の誕生」。
子どもと大人の服は一緒だった、と服装などに着目するところも面白い。子どもは働けるようになると(7,8歳くらい)、家を手伝ったのだという話しをされると「宝島」の冒頭シーンを思い出す。

<教育>の困難、というところでは、子供の自発性を重視することが、実は子供たちを従属させる、というパラドックスが面白いですね。

ここのコラムの教育に関するメタファーも面白いのですが、また機会があればやってみましょう。

こうやって、形成や共同体での教育に、子どもに価値を置いた新しい共同体の<教育>というものが生まれたことが、新たな困難を生むことになったと言っています。そこで、その<教育>について考えていきましょう、と終わっています。

では、要約を読んでみましょう。
教育の概念と性格を考えるために、まず歴史的な視野をもって教育の概念を捉える必要がある。教育の概念を明らかにするために、教育という言葉を、形成、共同体のための教育、<教育>と捉えた。そのなかで、近代において子どもを価値として捉える<教育>が生まれることを見てきた。近代における世代交代の特質、人間形成の特質の解明が課題だ。

確認問題
1 「笑いの教育」(柳田國男)はどのような人間形成であるか整理してみよう。
「笑いの教育」とは、笑いという日常的な振る舞いを通して行動を規制し、村の秩序をはみ出さない成員を育てる共同体での教育。それは、「人に笑われない人になれ」という価値のもとでの規制である。(92字)

2 <子どもの発見>とは何か。またこれは近代社会との教育とどのような関係にあるか論じてみよう。
<子どもの発見>とは、近代社会において子どもを特別な存在として見るまなざしの誕生である。それは、市民社会や近代国家という新しい共同体から要請される新たな人間観であり、<教育>の対象となる「子ども」という価値が見つけられたことを意味する。(118字)

3 自発的従属とは何か。『エミール』の例から考えてみよう。
自発的従属とは、個人の自発性に価値をおき、子どもに働きかける行為である教育が、同時に最も徹底的に子供たちの従属を可能にすることを指す。または、教育を通した子供の自発性の統制、または他者(社会)への従属である。(104字)

4 日本では「教育ができている」と一般的に言われる場合には何を意味しているかを考え、このユニットで学んだ教育と比較してみよう。
日本において、教育ができているには大きく二つの意味がある。一つは、躾や時と場所に適した振る舞いができるかという身体動作である。もう一つは、学歴の高さなど制度的裏付けを伴う意味である。(91字)

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