火曜日, 5月 08, 2012

子ども観 説明


子ども観 説明

(木村元・小玉重夫・船橋一男『教育学をつかむ』有斐閣2009)22ページに、子どもの内面を加工する技術の対象としてみる主流の子ども観と、幼稚園の祖とされるフレーベルが言うように、子どもの本性が自然に開花すると考える反主流の子ども観があって、それらは対立しているように見えるとある。「しかし」、の後は少し難しいですね。ここでは、対立しているように見えるけども、そう単純ではない、とだけ理解しておきましょう。そして、そこに矛盾や不安定さがある、という点を言いたいのでしょう。どういうことか、ということが、たとえば、の後に書かれています。①は、内面性を理解する、ということは一見素晴らしいことのように見えるけれども、実はそれは監視であって、子どものコントロールや自律性の破壊につながる、と書かれています。②や③も、一見良いことのように見えるけど実は、という副作用についてかかれていますね。
日本の子ども観の展開は、気をつけないとステレオタイプな日本文化論になってしまいます。たとえば、みなさんはここに書かれているようなことを本当にそうだと思っていますか?ただ、外国の人から見たとき、日本の特徴が浮かび上がってくる、ということはあるかもしれません。子宝思想と子殺しというのは、先程の西洋における主流と反主流の対立と同じように、日本における矛盾した構造としてかかれています。
次の、1920年代に子ども中心主義が唱えられる、というところは、後ででてくるデューイのところでも出てくると思いますので覚えておきましょう。「しかし」、それは西洋と同じ精神の上で唱えられたものではない、と書かれています。その背景には、宗教の違い歴史の違いがある、ということでしょうね。それが、母親の子どもに対する接し方の違いに現れる、と書かれています。

<絵本>

その後、少産少子社会、少子化動向が子ども観に影響を与えた、ということが書かれています。マルサス主義とは、人が増えるスピードのほうが食料が増えるスピードより速いから調整しましょう、という考えで、ここでは、「明るい家族計画」をしましょう、というようなことでしょうね。詳しくは27ページに書かれています。
そして、意識的に「育てる」、教育する、という子ども観が生まれてきたということ、その象徴が狼に育てられた子の話し、ということです。インドのアマラトカマラ、フランスのアヴェロンの野生児が有名です。アヴェロンの野生児は舞台化もされています。教育の可能性やおごり、また、この子どもが野生児とみなされたのは実は学習障害があったからではないか、という話もあったので、障害を持つ子どもに対する教育の問題喚起などともつながる話しになっています。

次に、少子化問題についての説明があります。まず、このグラフから何が読み取れるかを確認しておきましょう。
また、少子化「問題」という言葉に少し着目したいですね。少子化自体はずっと続いていました。でも、それが「問題」とされたのが90年代だといわれています。では、誰が「問題」にしたのでしょうか。なぜ、どのように「問題」となったのでしょうか。他に「問題」はなかったのでしょうか。それは本当に「問題」なのでしょうか。つまり、いいたいのは「問題」は作られるものだということで、だれがそれを作り、それが解決された結果、誰が恩恵を受けるのか、という視点が必要だと思います。

このユニットで一番切実な問題は、少子化となる社会の構造についてなのかもしれません。みなさんは看護師として働くわけですが、女性も男性も、どの段階で子どもを持ちたいのかという計画を立てるでしょう。しかし、思うように授かるわけでもないし、仕事の状況がそれを許さない、ということもある、結婚自体についても問題もある。こうした様々な問題を克服して、計画するからこそ、子どもができてから、どのように教育をするか、という意識も高まるのかもしれません。

確認問題

※以下の説明はあくまで私なりにまとめたものです。これを暗記したり、コピペしたのようなレポートは、すぐにわかります。とはいえ、教材として提示しているテキストの内容をまとめる以上、あまり異なる回答にはならないでしょう。そこで、定義や視点をそのまま使うにせよ、自分なりにどのように解釈したのかを、各人の体験を交えて補足するなどの工夫をしましょう。もし、紙幅に余裕があるようでしたら、ぜひ章末の参考文献に当たって、テキストでは言及されていないところまでをくみ取ったり、関連する研究を引用をするようにしてください。このように、情報を多面的な角度から検証すること、自分に引き付けて捉える姿勢が、ウィキペディア時代において、求められる能力です(2015.2.2追記)。

1 子ども観とは何か。子ども観と教育はどのような関係にあるか考えてみよう。
子ども観とは、大人による子どもの見方や把握の仕方である。子ども観によりその対象である子供への働きかけが定まるため、教育に影響を及ぼす。(67字)

2 日本の社会と欧米の社会で子どもの扱いが違うことについて、こども観という観点から考えてみよう。
西洋社会では、子どもは親や国家の私物ではない個として把握されることが基本にある。その上で、子どもを「進歩する」対象として捕らえ、その内面を加工する技術の対象として子どもをみる主流のこども観と、子どもがその本性に従って開花するという反主流の子ども観が合わさり構築される。絶対的な神の被造物と見る西洋の子ども観に対して、日本社会では子どもを親の付属物とするような子宝思想があり、選ばれた子どもを大切に育てるという方式を近代以前から取っている。(219字)

3 少子化の動向を押さえながら、教育における少子化の意味を考えてみよう。
日本では多産多死から少産少死への人口構造の転換が戦後の短期間になされた。それは、2人か3人の子どもに愛情を与えて「よりよく育てる」ことを共通の価値し、1960年代以降は、子どもをいかに「よく」育てるかが大きな問題となり、あらゆる階層が学歴獲得競争に巻き込まれた。1989年の1.57ショックにより90年代に入り少子化問題が叫ばれた。戦後の日本の近代家族が新しい展開をとげ、子育てのシステムが問い直される必要が言われている。(211字)

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