●いじめの定義
文部省(旧)の定義によれば、いじめとは「1.自分より弱いものに対して、一方的に」「2.身体的・心理的な攻撃を継続的に加え」「3.相手が深刻な苦痛を感じているもの」とされる。
●いじめの発生件数
いじめの発生件数は、1985年に155,066(小・中・高の合計)件であったが、1988年には29,786件、1994年は21,598件と減少を見せている 。
学年別にみると、小学校1年から6年にかけて次第に増え、中学1年生で急増し、中学校3年生で急減し、高校でさらに減るという傾向を見せる。報道されるいじめによる自殺者が中学1,2年生に集中している事実と合わせ、現行のいじめは中学校時に急増・深刻化する問題行動と考えられる 。
発生件数は学校の報告による。不登校や登校拒否は1981年→1991年に掛けて小学生3,600人→12,600人、中学生15,900人→54,100人。児童生徒の自殺発生数は、1985年215件、1988年175件、1993年131件。
●いじめの種類
小・中・高全体で最も多いのが「ひやかし・からかい」(24.5%)、次いで「暴力をふるう」(21.8%)、「ことばでの脅し」(18.3%)、「仲間はずれ」(15.8%)、「持ち物を隠す」(7.2%)。学校段階が上がるにつれて「金銭をたかる」が多くなる(小1.9%、中6.2%、高11.0%) 。
●いじめのプロセス
学校におけるいじめとその対処法について考察する酒井(1995)は 、いじめという現象が生じる場面には、いじめられる子(A)、いじめる子(B)、いじめを見てはやし立てる子(観衆)(C)、いじめにきづいても見て見ぬふりをする子(傍観者)(D)、先生(学級内で最も協力なリーダー)(T)の5つの立場があるとする。
いじめられる子(A)の条件は、「1.クラスの中の力関係の弱い子」「2.その子がクラスの他の生徒たちに違和感や不快感を与えること。例えば、動作が遅い、不潔、すぐ泣きごとを言う、転校生であるなど」「3.いじめる子がいじめによって会館を得られる、いじめがいがある」などが挙げられる。いじめられる子を類型化すると、いじめっ子の嗜虐性を刺激する「孤独型」(口下手、身体のアザや血管、肥満、動作が遅い、不潔、臆病、すぐ泣きごとを言う、弱虫、転校生など)、いじめっ子の攻撃性を刺激する「つっぱり型」(派手な服装、反抗的な態度など)、いじめっ子の劣等感を刺激する「ぶりっこ型」(成績がよい、美人、もてる、高価な服装、など)が考えられる。
いじめる子(B)の条件は、「1.クラスの中の力関係の強い子」「2.その子が何らかの理由で欲求不満状態であったり、ストレス状況下にあること。例えば、勉強ができなくて、授業がよくわからない、両親が離婚寸前、青年期で自分の心身のコントロールを上手にできない。」などがある。
いじめのプロセスは、いじめられる子(A)を取り巻く同心円が大きくなるというモデルで考えられる。つまり、いじめる子(B)と観衆(C)が増えるというプロセスである。相対的に傍観者(D)や教師(T)のプレッシャーが弱くなることで歯止めが利かなくなる。
●いじめに対する反応類型
いじめ現象を傍観者の観点から研究した橋本(1999) は、いじめをめぐる集団状況を「同調―黙認・不介入」の縦軸と、「同意・支援―批判・同情」の横軸で整理している。Ⅰ象限(同調/同意・支援)は加害者グループの一員として率先的に加害者と共に行動する同調的加害者(いじめる子B2、いじめグループの主犯格をB1とする)である。Ⅱ象限(同調/批判・同情)は被害者側に共感を持ちながら、行動面では加害者に属する(いじめる子B3)。Ⅲ象限(黙認・不介入/批判・同情)は加害者に批判意識、被害者に同情を感じながらも黙認・不介入を保つ傍観者である(傍観者D)。Ⅳ象限(同意・支援/黙認・不介入)は、直接手出しはしないが、周りで面白がって見ることでいじめ行動を促進する観衆的存在である(観衆C)。
インタビュー結果から、小学校と中学校では集団状況が異なることが分かっている。小学校では各象限に均等に分布している。Ⅰ象限の同調的加害者(いじめる子B2)は「面白かった」「深く考えていなかった」と答える。Ⅲ象限の傍観者(D)は、「自分が被害者になるのが嫌だった」「関わりたくなかった」と保身からいじめを黙認するが、Ⅳ象限の観衆(C)は、「直接手は出さないが、被害者のことが嫌だった。」と答える。傍観者(D)が多くなるケースは被害者が流動的かつ恣意的に選ばれるのに対し、観衆(C)が多くなるケースは被害者が特定化され、保身の心配が少ない。Ⅱ象限のいじめる子(B3)は保身からの過剰同調である。黙認
同調行動となる女子生徒間での集団無視という形態も多い。
中学校では、Ⅱ象限のいじめる子(B3)と、Ⅳ象限の観衆(C)がほとんどなくなり、Ⅰ象限の同調的加害者(いじめる子B2)と、Ⅲ象限の傍観者(D)に分化する。加害者に対する周囲の心理的な同調・支援傾向が減少し、傍観者の増加と加害者層の固定化が認められる。被害者が頃津した場合に深刻な状況が生じる。小学校時には仲裁者だった者たちも、中学になると傍観者に回っている。加害者とも被害者とも親しくなかった、という回答が見られる。
小学校と中学校では、①仲裁者の減少、②加害者への同調者・支援者の減少、③傍観者の増加、④加害者・被害者、いじめ現象から距離を取る生徒の増加、という点で違いが見られる。これは、中学になるといじめが不透明化することを示唆している。中学校では、事情を知らない傍観者層が現れる。
●小学校でのいじめ構造
①スケープゴート型
被害者への嫌悪感がクラスで共有されているケース。被害者は孤立し、被害者以外にとっては娯楽的要素が強い。観衆と加害者の間には依頼と代行の関係がある。「いじめられる側にも問題がある」などの認識を生みやすい。被害者は性別に関わりなく選別され、加害者層はクラス内において何事も率先して行うような活発な子どもで構成される。
②均衡型
傍観者が被害者に同情し、加害者層に批判意識を持っているケース。傍観者層は孤立しており、加害者層とも仲が良い場合が多い。状況によっては仲裁者となる。被害者に友人がいる場合もあるが、いじめの場面においては仲裁者とはならならず、保身から傍観している。加害者・傍観者が均衡を保つことにより状況の進化を抑制する傾向がある。
③ヒエラルキー型
加害者・傍観者/同調者・被害者の階層が男女別に形成される。傍観者と被害者の線引きがあいまいであり、傍観者はいつでも被害者になりうる。横先が自分に向く恐れから傍観者は介入に消極的になる。仲裁者が現れない。男子は別々のグループを形成し、物理的な加害行動であることが多い。女子は同一集団内でリーダー以外の子が被害者/同調者の立場を繰り返す。無視などの形態が多い。クラス内で女子が一元化し、被害者の孤立が長引くと深刻化する。
スケープゴート型と均衡型の往復がよく見られる。スケープゴート型→均衡型への移行は、笑って見ていた傍観者(観衆)が状況のエスカレートに伴って被害者に同情し始めることや、状況を認知した教師による介入・指導によって起こる。均衡型→スケープゴート型は被害者の不快な態度により同上心が消える場合である。各類型に固定化せず、教師の介入効果も長期間持続することはない。
小学校のいじめは集団成員全員が均等に関わることを特徴とし、被害者が分かりやすく固定している場合、保身の心配のない傍観者は面白がる。気まぐれで被害者が選ばれる場合は、傍観者は関わらないようにする。加害者に近い傍観者が仲裁し、事態が収束する。
●中学校でのいじめ構造
①分断型
傍観者は一貫していじめとは孤立し、加害者/被害者の関係に干渉することがない。徹底した無関心、無力感から来る諦念を持つ。日常生活において傍観者層が加害者、被害者のどちらに親近感を抱くかによって状況の深刻化に差異が認められる。
②加害者孤立型
傍観者が被害者に近い持つタイプ。加害者が不良グループで、周囲とは異質な行動様式を取る場合に被害者に同情を寄せる。直接関わることは避けるが、後で慰める、助言するなど精神的なフォローを行う傍観者が多数見られ、深刻化する危険性は少ない。加害者の行為は周囲へのデモンストレーションであるため、陰湿化する傾向は小さい。不良や際立って勉強のできる子、面白い子、運動のできる子は被害者にならず、誰を被害者にするかは注意深く選ばれていた気がするという意見もあり、加害者が周囲へのアピール手段として被害者を利用していることが分かる。
③被害者孤立型
傍観者が加害者に近いタイプ。被害者にとって親しいものは加害者だけという状況で、被害者に逃げ場がなく、いじめ行動のエスカレートに気づく者がいない、という状況が生まれる。傍観者は、加害者と被害者が友だちだと思っていることもあり、状況の深刻さを認知することがない事態に発展する可能性が高い。
加害者孤立型と被害者孤立型の間で変動が見られる。特に、加害者孤立型→被害者孤立型への移行が比較的良く見られる。当初、道場や危機感を持って自体の推移を眺めていた傍観者も、暴力が日常になるにつれて注意を払わなくなる。加害者/被害者層が固定化する為、傍観者層には保身の心配がなくなり、両者からある程度の距離を保てば日常生活に支障をきたすことがなくなる。逆に、被害者孤立型→加害者孤立型への移行は困難である。被害者が孤立しているため、当事者以外への波及がない。被害者自身による周囲へのアピールが必要であり、状況の深刻さがわかりやすい形で第三者に提示される必要がある。
中学校でのいじめは、当事者(加害者/被害者)とそれ以外(傍観者)が分断される。いじめが深刻化するのは、こうした集団の変化が原因である。加害者が孤立している場合はいじめが収束しやすいが、被害者が疎外されている場合は深刻化しやすい。いじめが見えにくく、当事者以外の者が状況の深刻さを把握することが難しい。加害者の変化、被害者の第三者に向けた強いアピールがなければ事態は収束しにくい 。
●小学校から中学校への移行期といじめ構造の移動経路
小学校時にⅠ象限(同調的加害者、いじめる子B2)は、スケープゴート型の場合は傍観者に移る。娯楽としていじめに参加していた者たちが無関心な傍観者に代わることにより、スケープゴート型が分断型に以降する。ヒエラルキー型における同調的加害者で会った場合は、継続して分断型の加害者層に残る。Ⅱ象限(いじめる子B3)は、意識的にいじめに関わりをもたないように努める。Ⅲ象限(傍観者D)では、均衡型に分類されたものがそのまま残る。Ⅳ象限(観衆C)で、スケープゴート型に属していた層も分断型の傍観層に移る。
つまり、小学校→中学校の移行期に、スケープゴート型、均衡型における率先的加害者(いじめる子B1)、ヒエラルキー型における加害者層がそのまま加害者となり、スケープゴート型における観衆(C)は傍観者(D)となり、その他の傍観者も継続して傍観的態度を取り続ける。
傍観者は、加害者、被害者双方に対して批判意識を持つようになるが、加害者層には意識の変化は見られない。傍観者との分断が生じることで行動の客観視ができず、エスカレートし、加害者側の収束がない限り、事態は深刻化する。卒業が近づいたので馬鹿な真似はやめようと思った、などが加害者の収束要因となっている。傍観者の関心がなぜなくなるのか、ではなく、加害者の関心がなぜなくならないのか、が課題となる。
●現代のいじめの特徴
現代のいじめの特徴として、(1)集団で一人をいじめることが多く、集団の中も階層化している、ことが挙げられる。大河内君の事例では、12名のいじめグループの中でも、主犯格の4人、積極的にいじめに加担した数名、その遊び仲間という序列ができていた。大河内君は、遊び仲間のグループに加わっており、一緒に遊ぶことのできる仲間(プラスの感情)と、いじめられる(マイナスの感情)という両面的な感情を持っていたと考えられる。また、いじめグループのリーダー格を除いては、被害者と加害者が状況によって逆転する。(2)いじめの手口が巧妙で、教師や大人の目の届かないところで行われる、(3)いじめ方が執拗で陰湿化している、(4)歯止めがきかず徹底的にいじめる、という特徴もある。
●「いじめ」問題の扱われ方
1986年「葬式ごっこ」(東京中野)や94年O君事件(愛知県・東部中)のセンセーショナルな報道を通じて問題視される 。
「いじめ」がどのように語られるようになったかを研究する間山(2002) は、「いじめ」は昔からあったのではないという。昔からあったのは「犯罪」としての恐喝や、「ささいなこと」として考えられていた無視や悪口であり、これらは「いじめ」ではない。「いじめ」というカテゴリーが新しくできたという立場を取る。
「いわきいじめ訴訟」(福島地方裁判所いわき支部 1991[1990年12月26日判決])は日本の裁判史上はじめて「いじめ自殺」に対して学校の過失責任を認めた判決であると同時に、「いじめ自殺」者本人に、自らの命を守る手立てを尽くす義務が果たされなかったという過失を認めている。この判決を分析した山本(1996) は、「子どもを大人によって守られ、解釈されるべき存在へと押し込め」るという社会から、「子どもを命の最終責任者として、判断し、表現し、行動する主体へと位置付け直している」と解釈した。そして、「いじめ=(苦痛→死)」という語られ方が作られてしまったことが、いじめ被害者自身が死を正当化する根拠となっているとし、これを差別の語られかたにつなげて、被害者が差別の告発者となることを正当とする社会が必要だと言う。つまり、「いじめ」と「自殺」の結び付きを加害者、被害者、傍観者、社会の様々なレベルで切り崩すことが、「いじめ自殺」被害者を根絶することにつながると考える。「いじめを受けたから自殺しなくてはならない」という意識を転換させる意図がそこにはある。
●学校の対応
いじめ問題の事例を収集し検討する酒井(1995)は 、1984年、愛知県瀬戸市の中学2年男子生徒の首吊り自殺と、1994年のO君の事件の対応が似ていることを指摘している。学校は最初「いじめはなかった」と否定し、その後、詳細な遺書などの資料が残されていることが判明し、いじめによる自殺であることを認めるという形である。O君事件のとき、校長は自殺に至る様々な原因のうちの一つにいじめがあったことは認めつつも、「自殺の引き金は、前夜や当日の朝、お父さんが厳しくしかりつけたり、さとしたりしたことなど(いじめとは)別にあると思う。」と付け加えている。
社会問題として取り上げられることで様々な機関が動く一方で、地元のイメージが悪くなり高校推薦に影響がでる、と遺族を責める保護者もいた。
参考)
酒井 亮爾,1996,「学校におけるいじめ自殺―1995年の場合」『人間文化 : 愛知学院大学人間文化研究所紀要 』11, pp.197-228。
1994年文部省「生徒指導上の諸問題の現状」。
橋本摂子,1999,「いじめ集団の類型化とその変容過程―傍観者に着目して」『教育社会学研究』第64集,pp.123-142.
文部省初等中等教育局「生徒指導上の諸問題の現状と文部省の施策について」(1991年/複数回答)
酒井 亮爾,1995, 「学校におけるいじめとその対処法に関する一考察」『人間文化 : 愛知学院大学人間文化研究所紀要』 10, pp.230-260
加害者に着目したいじめ集団類型として、迫田 真由子, 2000,「第4章 加害者に着目したいじめ集団類型」『学校臨床研究』 1(1),pp. 31-37、がある。
間山広明,2002,「概念分析としての言説分析-「いじめ自殺」の<根絶=解消」へ向けて」『教育社会学研究』第70集,pp.145-163。
山本雄二,1996,「言説的実践とアーティキュレーション」『教育社会学研究』第59集,pp.69-88。 判決は学校に3割、家族に3割、自殺者本人に4割の過失を認めている。