木曜日, 7月 19, 2012

いじめ 担任の考えるべきこと


●担任が考えるべきこと

(1)児童・生徒の状況及び変化の把握
いじめの初期で発見し、その段階で「いじめは許さない」という態度で対処し、観衆(C)や傍観者(D)がいじめる子(B)にならないようにする。

(2)児童・生徒との信頼関係
(1)の指導が成立するためには、信頼して情報を寄せたり安心して相談を持ちかけられる関係が成立している必要がある。その前提条件として、教科指導など教師としての専門的能力や、人間的な面での尊敬の念が必要とされる。

(3)いじめを発見した場合

①いじめられた子の話しを聞き、その子の立場に立ち、慎重に対処する。
(よくない事例)生徒AとBのいじめ的関係について生徒Cが先生に相談した時、「注意したから大丈夫だ」というだけで終わる。もっと時間をかけて生徒と話し合ってほしい。(豊川市の中学3年生)


②「絶対にいじめは許さない」という態度で臨む
学級だけでなく、学校全体で厳格な態度で対処する。いじめグループ(B)に対しては、それぞれの子どもを、時に個別に、時にグループとして面談し、面談する。この時、担任だけでなく、校長や主だった先生も同席し、両親を含め、学校が断固とした処置をとることを態度で示す。もし、いじめを教師に知らせたことで報復があるような事態となれば、停学や退学などの処罰があることを示すことが再発防止につながる。金品の恐喝や暴行の程度がひどい場合は、警察に知らせ、法的な処置を受けさせる。


③学校と家庭が緊密な連絡を取り、協力して問題の解決に当たる

④いじめる側の言い分を聞く

⑤SOS信号がでている場合、いじめグループ(B)といじめられっ子(A)を隔離し保護する
いじめを受けている子どもの話しを無条件に受け入れて聴く。コメントや支持的な付け加えをしない。励まさない。非難しない。感情レベルでの共感的理解を重視する。自殺を決意させるほどの心理的危機は比較的短い期間しか続かないと言われる。早くて4~5日、遅くて2~3カ月で消えることが分かっている。心理的危機を先延ばしにする。身近な人が自殺することで、残された人は心理的負担を負う。一人の人間が死ぬと平均7~8人の人が嘆き悲しむことが分かっており、何人かが後追い自殺をする。

●いじめを解決した事例

渡邊(1996)は文献の整理から、つぎのことを述べている 。

(1)いじめをいかに把握するか

①複数の教師が手分けして事情を聴く(情報の出所は隠す、うわさの域を出ないという形にする、教師がたまたま見聞きしたという形にする)

②教師が実際に目で確認する

③クラス全員にアンケートを取る

(2)いじめられている子にどうかかわるべきか

いじめられている子が被害を言わない理由
みっともない、恥ずかしい、仕返しが怖い、親に心配をかけたくない、教師に行っても解決しない、いじめられている事実を受け入れたくない、孤立するよりまし、話すことによりつらい経験を追体験しなければならない。

①いじめられている子を即時に保護する。いじめている子に会わないようにする。

②つらさを十分に聴いて認め、心から理解を示す。

③「お前にも欠点がある」と言わない。

④「人生ではもっとつらいことがある。これくらいでくじけるな。強くなれ。」と言わない。

⑤孤立させない。

⑥教師が折に触れ声をかける

⑦いじめの記録を書かせる。証拠の品を残す。

⑧別室での個別授業を保障する。不登校になった場合は訪問授業をして学習権を保障する。

(3)いじめている子にはどうかかわるべきか

①よわいものいじめは許されないという認識、態度で臨む。いじめたつもりがなくても相手はいじめと感じていること、仕返しは卑怯であることを含めて。

②一方的な説教にしない。問題児童というレッテルを貼らない。いじめをやりたくなる背景、やめられないつらさに目を向ける。内省の機会を与える。良いところを発見し、頑張りどころを見出し、将来への希望が持てるようにする。追いつめず、逃げ道を残す。

(割愛)

⑤「どうして?」は非難されている感情を引き起こすので、避ける。

⑥特別指導プログラムを個別、集団で組む。

⑦警察、指導相談書、家庭裁判所の協力を仰ぐ。

(4)親との関わり

①いじめをなくすために徹底して戦う姿勢を伝える。実態理解の目的でアンケート実施もよい。

②親との信頼関係を作る。冷静に親の話しを聴き、立場を理解する。教師は「一生懸命やっている」「何度も指導している」など自分の正当化をしない。いじめられている保護者に対して「騒ぎすぎ」「いじめられる方にも問題がある」、いじめている保護者に対して「家でちゃんと教育しているのか」など責めない。話合いは継続して行う。

③学校、教師の考えや姿勢を表明する。現在どう取り組んでいるか、今後どうしていくのかを具体的に述べる。

④こどもを全体的に理解するために、家庭での様子を聴く。学校での様子を伝える。

⑤家庭訪問をする。

⑥緊急父母会、PTA会合を開く。欠席者にも議事録や情報を伝える。

いじめられている子の親に対して:緊急時であることを認識していないような発言をしない、謙虚に謝罪する勇気、学校だけで難しい場合は他の機関の紹介

いじめている子の親に対して:単純に子どもを悪者扱いしない、補償や弁償については合理的に解決できるよう取り計らう、家庭での指導を約束し実行されているかを確認する、あらかじめ個人面談を行ったうえで集団面談を行う

直接関わっていない子の親に対して:当事者だけでなくオープンにすることが効果的、傍観者という立場はいじめていることだという考えを貫く、日記、感想文、手記などを材料に話合いを繰り返す、いじめについて共同で学習する、ルールを作る、学校全体での話合いに勧める

(5)教師間の連携

①複数の教師で手分けして実態の把握をする

②教師用のいじめ調査を行う。

③対策委員会の設置

④学年会での情報交換

⑤学年全体で個別指導

安易に「自分のクラスにはいじめはない」と言わない。いじめはある、という姿勢で考える。

●いじめを解決した事例をもとに、次のことを考える。

・いじめについての情報をどう把握し、確認したか
・いじめられている子に対してどのようにかかわったか
・いじめている子に対してどのようにかかわったか
・双方の親に対してはどのようにかかわったか
・いじめられている子の親にはどのようにかかわったか
・いじめている子の親に対してはどのようにかかわったか
・その他の子どもに対してはどのようにかかわったか
・教師の連携、自分の姿勢の見直しはどうだったか
・子どもの年齢によって教師の関わりかたに違いがあるか

参考)

酒井 亮爾,1995, 「学校におけるいじめとその対処法に関する一考察」『人間文化 : 愛知学院大学人間文化研究所紀要』 10, pp.230-260

渡邉孝憲,1996,「「いじめ」を解決した事例にみる教師の効果的なかかわりかたの分析」『聖徳大学研究紀要 人文学部』第7号,pp.47-55

いじめ


●いじめの定義
文部省(旧)の定義によれば、いじめとは「1.自分より弱いものに対して、一方的に」「2.身体的・心理的な攻撃を継続的に加え」「3.相手が深刻な苦痛を感じているもの」とされる。


●いじめの発生件数
いじめの発生件数は、1985年に155,066(小・中・高の合計)件であったが、1988年には29,786件、1994年は21,598件と減少を見せている 。
学年別にみると、小学校1年から6年にかけて次第に増え、中学1年生で急増し、中学校3年生で急減し、高校でさらに減るという傾向を見せる。報道されるいじめによる自殺者が中学1,2年生に集中している事実と合わせ、現行のいじめは中学校時に急増・深刻化する問題行動と考えられる 。

発生件数は学校の報告による。不登校や登校拒否は1981年→1991年に掛けて小学生3,600人→12,600人、中学生15,900人→54,100人。児童生徒の自殺発生数は、1985年215件、1988年175件、1993年131件。


●いじめの種類
小・中・高全体で最も多いのが「ひやかし・からかい」(24.5%)、次いで「暴力をふるう」(21.8%)、「ことばでの脅し」(18.3%)、「仲間はずれ」(15.8%)、「持ち物を隠す」(7.2%)。学校段階が上がるにつれて「金銭をたかる」が多くなる(小1.9%、中6.2%、高11.0%) 。


●いじめのプロセス
学校におけるいじめとその対処法について考察する酒井(1995)は 、いじめという現象が生じる場面には、いじめられる子(A)、いじめる子(B)、いじめを見てはやし立てる子(観衆)(C)、いじめにきづいても見て見ぬふりをする子(傍観者)(D)、先生(学級内で最も協力なリーダー)(T)の5つの立場があるとする。
いじめられる子(A)の条件は、「1.クラスの中の力関係の弱い子」「2.その子がクラスの他の生徒たちに違和感や不快感を与えること。例えば、動作が遅い、不潔、すぐ泣きごとを言う、転校生であるなど」「3.いじめる子がいじめによって会館を得られる、いじめがいがある」などが挙げられる。いじめられる子を類型化すると、いじめっ子の嗜虐性を刺激する「孤独型」(口下手、身体のアザや血管、肥満、動作が遅い、不潔、臆病、すぐ泣きごとを言う、弱虫、転校生など)、いじめっ子の攻撃性を刺激する「つっぱり型」(派手な服装、反抗的な態度など)、いじめっ子の劣等感を刺激する「ぶりっこ型」(成績がよい、美人、もてる、高価な服装、など)が考えられる。
いじめる子(B)の条件は、「1.クラスの中の力関係の強い子」「2.その子が何らかの理由で欲求不満状態であったり、ストレス状況下にあること。例えば、勉強ができなくて、授業がよくわからない、両親が離婚寸前、青年期で自分の心身のコントロールを上手にできない。」などがある。
いじめのプロセスは、いじめられる子(A)を取り巻く同心円が大きくなるというモデルで考えられる。つまり、いじめる子(B)と観衆(C)が増えるというプロセスである。相対的に傍観者(D)や教師(T)のプレッシャーが弱くなることで歯止めが利かなくなる。


●いじめに対する反応類型
 いじめ現象を傍観者の観点から研究した橋本(1999) は、いじめをめぐる集団状況を「同調―黙認・不介入」の縦軸と、「同意・支援―批判・同情」の横軸で整理している。Ⅰ象限(同調/同意・支援)は加害者グループの一員として率先的に加害者と共に行動する同調的加害者(いじめる子B2、いじめグループの主犯格をB1とする)である。Ⅱ象限(同調/批判・同情)は被害者側に共感を持ちながら、行動面では加害者に属する(いじめる子B3)。Ⅲ象限(黙認・不介入/批判・同情)は加害者に批判意識、被害者に同情を感じながらも黙認・不介入を保つ傍観者である(傍観者D)。Ⅳ象限(同意・支援/黙認・不介入)は、直接手出しはしないが、周りで面白がって見ることでいじめ行動を促進する観衆的存在である(観衆C)。
インタビュー結果から、小学校と中学校では集団状況が異なることが分かっている。小学校では各象限に均等に分布している。Ⅰ象限の同調的加害者(いじめる子B2)は「面白かった」「深く考えていなかった」と答える。Ⅲ象限の傍観者(D)は、「自分が被害者になるのが嫌だった」「関わりたくなかった」と保身からいじめを黙認するが、Ⅳ象限の観衆(C)は、「直接手は出さないが、被害者のことが嫌だった。」と答える。傍観者(D)が多くなるケースは被害者が流動的かつ恣意的に選ばれるのに対し、観衆(C)が多くなるケースは被害者が特定化され、保身の心配が少ない。Ⅱ象限のいじめる子(B3)は保身からの過剰同調である。黙認
同調行動となる女子生徒間での集団無視という形態も多い。
中学校では、Ⅱ象限のいじめる子(B3)と、Ⅳ象限の観衆(C)がほとんどなくなり、Ⅰ象限の同調的加害者(いじめる子B2)と、Ⅲ象限の傍観者(D)に分化する。加害者に対する周囲の心理的な同調・支援傾向が減少し、傍観者の増加と加害者層の固定化が認められる。被害者が頃津した場合に深刻な状況が生じる。小学校時には仲裁者だった者たちも、中学になると傍観者に回っている。加害者とも被害者とも親しくなかった、という回答が見られる。
小学校と中学校では、①仲裁者の減少、②加害者への同調者・支援者の減少、③傍観者の増加、④加害者・被害者、いじめ現象から距離を取る生徒の増加、という点で違いが見られる。これは、中学になるといじめが不透明化することを示唆している。中学校では、事情を知らない傍観者層が現れる。


●小学校でのいじめ構造
①スケープゴート型
被害者への嫌悪感がクラスで共有されているケース。被害者は孤立し、被害者以外にとっては娯楽的要素が強い。観衆と加害者の間には依頼と代行の関係がある。「いじめられる側にも問題がある」などの認識を生みやすい。被害者は性別に関わりなく選別され、加害者層はクラス内において何事も率先して行うような活発な子どもで構成される。
②均衡型
傍観者が被害者に同情し、加害者層に批判意識を持っているケース。傍観者層は孤立しており、加害者層とも仲が良い場合が多い。状況によっては仲裁者となる。被害者に友人がいる場合もあるが、いじめの場面においては仲裁者とはならならず、保身から傍観している。加害者・傍観者が均衡を保つことにより状況の進化を抑制する傾向がある。
③ヒエラルキー型
加害者・傍観者/同調者・被害者の階層が男女別に形成される。傍観者と被害者の線引きがあいまいであり、傍観者はいつでも被害者になりうる。横先が自分に向く恐れから傍観者は介入に消極的になる。仲裁者が現れない。男子は別々のグループを形成し、物理的な加害行動であることが多い。女子は同一集団内でリーダー以外の子が被害者/同調者の立場を繰り返す。無視などの形態が多い。クラス内で女子が一元化し、被害者の孤立が長引くと深刻化する。

スケープゴート型と均衡型の往復がよく見られる。スケープゴート型→均衡型への移行は、笑って見ていた傍観者(観衆)が状況のエスカレートに伴って被害者に同情し始めることや、状況を認知した教師による介入・指導によって起こる。均衡型→スケープゴート型は被害者の不快な態度により同上心が消える場合である。各類型に固定化せず、教師の介入効果も長期間持続することはない。
小学校のいじめは集団成員全員が均等に関わることを特徴とし、被害者が分かりやすく固定している場合、保身の心配のない傍観者は面白がる。気まぐれで被害者が選ばれる場合は、傍観者は関わらないようにする。加害者に近い傍観者が仲裁し、事態が収束する。


●中学校でのいじめ構造
①分断型
傍観者は一貫していじめとは孤立し、加害者/被害者の関係に干渉することがない。徹底した無関心、無力感から来る諦念を持つ。日常生活において傍観者層が加害者、被害者のどちらに親近感を抱くかによって状況の深刻化に差異が認められる。
②加害者孤立型
傍観者が被害者に近い持つタイプ。加害者が不良グループで、周囲とは異質な行動様式を取る場合に被害者に同情を寄せる。直接関わることは避けるが、後で慰める、助言するなど精神的なフォローを行う傍観者が多数見られ、深刻化する危険性は少ない。加害者の行為は周囲へのデモンストレーションであるため、陰湿化する傾向は小さい。不良や際立って勉強のできる子、面白い子、運動のできる子は被害者にならず、誰を被害者にするかは注意深く選ばれていた気がするという意見もあり、加害者が周囲へのアピール手段として被害者を利用していることが分かる。
③被害者孤立型
傍観者が加害者に近いタイプ。被害者にとって親しいものは加害者だけという状況で、被害者に逃げ場がなく、いじめ行動のエスカレートに気づく者がいない、という状況が生まれる。傍観者は、加害者と被害者が友だちだと思っていることもあり、状況の深刻さを認知することがない事態に発展する可能性が高い。

加害者孤立型と被害者孤立型の間で変動が見られる。特に、加害者孤立型→被害者孤立型への移行が比較的良く見られる。当初、道場や危機感を持って自体の推移を眺めていた傍観者も、暴力が日常になるにつれて注意を払わなくなる。加害者/被害者層が固定化する為、傍観者層には保身の心配がなくなり、両者からある程度の距離を保てば日常生活に支障をきたすことがなくなる。逆に、被害者孤立型→加害者孤立型への移行は困難である。被害者が孤立しているため、当事者以外への波及がない。被害者自身による周囲へのアピールが必要であり、状況の深刻さがわかりやすい形で第三者に提示される必要がある。
中学校でのいじめは、当事者(加害者/被害者)とそれ以外(傍観者)が分断される。いじめが深刻化するのは、こうした集団の変化が原因である。加害者が孤立している場合はいじめが収束しやすいが、被害者が疎外されている場合は深刻化しやすい。いじめが見えにくく、当事者以外の者が状況の深刻さを把握することが難しい。加害者の変化、被害者の第三者に向けた強いアピールがなければ事態は収束しにくい 。


●小学校から中学校への移行期といじめ構造の移動経路
小学校時にⅠ象限(同調的加害者、いじめる子B2)は、スケープゴート型の場合は傍観者に移る。娯楽としていじめに参加していた者たちが無関心な傍観者に代わることにより、スケープゴート型が分断型に以降する。ヒエラルキー型における同調的加害者で会った場合は、継続して分断型の加害者層に残る。Ⅱ象限(いじめる子B3)は、意識的にいじめに関わりをもたないように努める。Ⅲ象限(傍観者D)では、均衡型に分類されたものがそのまま残る。Ⅳ象限(観衆C)で、スケープゴート型に属していた層も分断型の傍観層に移る。
つまり、小学校→中学校の移行期に、スケープゴート型、均衡型における率先的加害者(いじめる子B1)、ヒエラルキー型における加害者層がそのまま加害者となり、スケープゴート型における観衆(C)は傍観者(D)となり、その他の傍観者も継続して傍観的態度を取り続ける。
傍観者は、加害者、被害者双方に対して批判意識を持つようになるが、加害者層には意識の変化は見られない。傍観者との分断が生じることで行動の客観視ができず、エスカレートし、加害者側の収束がない限り、事態は深刻化する。卒業が近づいたので馬鹿な真似はやめようと思った、などが加害者の収束要因となっている。傍観者の関心がなぜなくなるのか、ではなく、加害者の関心がなぜなくならないのか、が課題となる。


●現代のいじめの特徴
現代のいじめの特徴として、(1)集団で一人をいじめることが多く、集団の中も階層化している、ことが挙げられる。大河内君の事例では、12名のいじめグループの中でも、主犯格の4人、積極的にいじめに加担した数名、その遊び仲間という序列ができていた。大河内君は、遊び仲間のグループに加わっており、一緒に遊ぶことのできる仲間(プラスの感情)と、いじめられる(マイナスの感情)という両面的な感情を持っていたと考えられる。また、いじめグループのリーダー格を除いては、被害者と加害者が状況によって逆転する。(2)いじめの手口が巧妙で、教師や大人の目の届かないところで行われる、(3)いじめ方が執拗で陰湿化している、(4)歯止めがきかず徹底的にいじめる、という特徴もある。


●「いじめ」問題の扱われ方
1986年「葬式ごっこ」(東京中野)や94年O君事件(愛知県・東部中)のセンセーショナルな報道を通じて問題視される 。
「いじめ」がどのように語られるようになったかを研究する間山(2002) は、「いじめ」は昔からあったのではないという。昔からあったのは「犯罪」としての恐喝や、「ささいなこと」として考えられていた無視や悪口であり、これらは「いじめ」ではない。「いじめ」というカテゴリーが新しくできたという立場を取る。
「いわきいじめ訴訟」(福島地方裁判所いわき支部 1991[1990年12月26日判決])は日本の裁判史上はじめて「いじめ自殺」に対して学校の過失責任を認めた判決であると同時に、「いじめ自殺」者本人に、自らの命を守る手立てを尽くす義務が果たされなかったという過失を認めている。この判決を分析した山本(1996) は、「子どもを大人によって守られ、解釈されるべき存在へと押し込め」るという社会から、「子どもを命の最終責任者として、判断し、表現し、行動する主体へと位置付け直している」と解釈した。そして、「いじめ=(苦痛→死)」という語られ方が作られてしまったことが、いじめ被害者自身が死を正当化する根拠となっているとし、これを差別の語られかたにつなげて、被害者が差別の告発者となることを正当とする社会が必要だと言う。つまり、「いじめ」と「自殺」の結び付きを加害者、被害者、傍観者、社会の様々なレベルで切り崩すことが、「いじめ自殺」被害者を根絶することにつながると考える。「いじめを受けたから自殺しなくてはならない」という意識を転換させる意図がそこにはある。

●学校の対応
いじめ問題の事例を収集し検討する酒井(1995)は 、1984年、愛知県瀬戸市の中学2年男子生徒の首吊り自殺と、1994年のO君の事件の対応が似ていることを指摘している。学校は最初「いじめはなかった」と否定し、その後、詳細な遺書などの資料が残されていることが判明し、いじめによる自殺であることを認めるという形である。O君事件のとき、校長は自殺に至る様々な原因のうちの一つにいじめがあったことは認めつつも、「自殺の引き金は、前夜や当日の朝、お父さんが厳しくしかりつけたり、さとしたりしたことなど(いじめとは)別にあると思う。」と付け加えている。


  社会問題として取り上げられることで様々な機関が動く一方で、地元のイメージが悪くなり高校推薦に影響がでる、と遺族を責める保護者もいた。

参考)


  酒井 亮爾,1996,「学校におけるいじめ自殺―1995年の場合」『人間文化 : 愛知学院大学人間文化研究所紀要 』11, pp.197-228。

1994年文部省「生徒指導上の諸問題の現状」。

   橋本摂子,1999,「いじめ集団の類型化とその変容過程―傍観者に着目して」『教育社会学研究』第64集,pp.123-142.

  文部省初等中等教育局「生徒指導上の諸問題の現状と文部省の施策について」(1991年/複数回答)

  酒井 亮爾,1995, 「学校におけるいじめとその対処法に関する一考察」『人間文化 : 愛知学院大学人間文化研究所紀要』 10, pp.230-260

   加害者に着目したいじめ集団類型として、迫田 真由子, 2000,「第4章 加害者に着目したいじめ集団類型」『学校臨床研究』 1(1),pp. 31-37、がある。

  間山広明,2002,「概念分析としての言説分析-「いじめ自殺」の<根絶=解消」へ向けて」『教育社会学研究』第70集,pp.145-163。

  山本雄二,1996,「言説的実践とアーティキュレーション」『教育社会学研究』第59集,pp.69-88。 判決は学校に3割、家族に3割、自殺者本人に4割の過失を認めている。


土曜日, 7月 14, 2012

看護専門学校 教育学 授業アンケート結果


実施:201273日 13講目 112講を対象 36名 
スケール:1:面白くなかった 5:面白かった 1:役に立たなかった 5:役に立った




    面白かった   役に立った   合計  
    平均 標準偏差 平均 標準偏差 平均 標準偏差
1 1.オリエンテーション  ヒーローインタビュー 3.5 1.0 3.1 1.0 6.1 2.4
2  チーム作り 3.5 1.0 3.2 1.1 6.3 2.3
3 2.教育学とは何か  教育学とは何か 3.0 1.0 3.1 1.0 5.7 2.3
4  1年生に伝えたい歌 3.7 1.4 2.6 1.1 6.0 2.6
5 3.教育とは何か  教育とは何か 2.8 0.9 3.0 0.9 5.2 2.4
6  自校の教育理念を探す 3.0 1.2 3.0 0.9 5.8 2.1
7 4.学校とは何か  学校とは何か 2.9 0.9 3.0 1.0 5.3 2.6
8  学校のメタファー(例) 3.1 1.2 2.9 1.0 5.4 2.5
9 5.リフレクション  子ども観 2.9 0.8 3.1 1.1 5.4 2.4
10  クイズを作る 2.9 1.2 3.0 1.0 5.8 2.1
11 6.学びの空間のデザイン  学びの空間のデザイン 3.7 1.2 3.3 1.2 6.4 2.9
12  デザインしてみよう 4.2 1.1 3.4 1.1 7.4 2.0
13 7.学ぶということ  学ぶということ 2.9 0.9 3.2 1.0 5.6 2.4
14  スキットの脚本づくり 3.0 1.1 3.1 1.1 6.1 2.1
15 8.学習の過程と形態  学習の過程と形態 2.9 1.1 3.1 1.1 5.4 2.7
16  スキットの発表 3.1 1.1 3.2 1.0 6.3 2.0
17 9.省察的専門家像①  省察的専門家像 2.8 1.0 2.9 0.9 5.6 1.9
18 10.省察的専門家像②  学びの共同体 3.2 1.1 3.2 1.1 5.8 2.6
19  ディベート 1年制 3.4 1.1 3.4 1.1 6.6 2.3
20 11.リフレクション  教育相談 3.1 1.0 3.3 1.2 5.7 2.8
21  ディベート 学校選択 3.5 1.1 3.4 1.1 6.7 2.4
22 12.リフレクション  子どもの学習と参加 3.3 1.0 3.3 1.1 5.8 2.8
23  ディベート 留年 3.5 1.1 3.5 1.1 6.9 2.4
合計   69.1 21.4 68.3 21.4 137.4 42.2
平均   3.0 0.9 3.0 0.9 6.0 1.8




l  合計点の高かったセッションは、デザインしてみよう、ディベート留年(3グループ)、ディベート学校選択(代表チーム)、ディベート1年制、学びの空間のデザイン、チーム作り→「学びの空間のデザイン」「ディベート」「チームづくり」を時間かけてする
l  合計点で標準偏差が大きかったのは、学びの空間のデザイン、教育相談、子どもの学習と参加、1年生に伝えたい歌、学校とは何か、学習の過程と形態→二極化しているのでやり方を見直す
l  合計点の低かったセッションは、教育とは何か、学校とは何か、学校のメタファー、学習の過程と形態、学ぶということ、省察的専門家像→テーマの見直し
l  面白かったと役に立ったはほぼ連動。面白さが勝っているのが、デザインしてみよう、ヒーローインタビュー。役に立ったが勝っているのが教育相談、子ども観、学ぶと言うこと、学習の過程と形態。
l  満足度の高かった学生の意見(1年生に対してどのような教育学の授業を行うか)は、「ストレスの発散方法」「看護学校における男女の役割」「勉強をなぜ行うのか」「看護学校に入って苦労したこと」「学びの空間のデザイン」。満足度の低かった学生の意見は、「現実問題になっている不登校とかいじめ」「コミュニケーションの確立→ロールプレイ」「大学などの教育学部での授業の雰囲気」「患者さんへの教育方法」「教育学の歴史や考え方を講義しわかりやすく解説をする。グループワークはディベートやスキットの目的をしっかり理解した上で行ってもらう」→残り2回でできるだけフォローし、次回のカリキュラムづくりに反映させる。



(自由記述意見 合計満足度の高い順)


  218
 ストレスの発散方法・・・グループワークを行い体験談を話し、クラスで情報を共有する 206
 看護学校における男女の役割についてもっと話しを聞いてみたかったです。 192
 勉強をなぜ行うのか。勉強するとなぜよいかを考え、利点を述べ、分かりやすくプリントにまとめる。 189
 看護学校に入って苦労したこと、楽しかったことについて。グループワーク。 181
 学びの空間のデザインを私たちがやったように1年生にもやってもらったら楽しいと思います。 180
 基礎の大切さ 179
 学びの空間のデザインが楽しかったので「学びの空間~」をする 168
  166
 様々な意見に耳を傾け視野を広げてほしいので私は「授業は黒板に板書するか、パワーポイントを用いる」などのようなテーマでディベートを行いたいです。 165
 ディベートを行い、重要か重要でないかを一人一人が知り、理解する 163
 毎回グループのメンバーを代えて授業を行い、現在の社会で挙げられている問題をディベートやクイズを通して生徒達主体で行う。 159
 ディベートするのは楽しかったが考える時間をもう少しほしかった。 156
 学びの空間のデザインを取り上げ、みんなで実際にやってみる! 153
 効果的な教育指導方法→言葉の選び方、話しの運び方など体験 楽しく学べる工夫→実際にパンフレットとか作ってみる 153
  149
  148
  142
 患者への生活指導。教育学的に効果的な方法、指導方法を学ぶ。グループで実際にやってみる。 139
 教育学に対してまだ自分が解っていないのでできないです。 139
 1年制について 138
 教育学とは何か?の講義と様々なテーマのディベートを行う。 136
 みんなで考え、作っていく作業。他の人の意見や考えを聞くことのできること。もっと学生ならではの「あるある」を※、教育を身近な言葉で理解してもらえるような授業。 130
 教育学とは何か→なるべく簡単な言葉で説明する。 128
 看護学生は教育を受ける側ですが、患者さんへの生活や健康の教育もできるようにならないといけません。教育する方法やどう教育を受けるか、その姿勢や工夫について考えさせます。 127
  126
 「学びの空間のデザイン」 自分達がやったように全員が意見を出し合い色々なデザインや発送があることを知ってもらう。 123
  100
 教育学の歴史や考え方を講義しわかりやすく解説をする。グループワークはディベート、スキットの学びの目的を理解した上で行ってもらう。 92
 学びの空間のデザイン、理想の学校風景を書いてもらう 86
 子どもの教育について、学校制度について 84
 患者さんへの教育(指導)方法 82
 大学などの教育学部ではどのような授業をしていたり、雰囲気や様子を知りたかったのでそのような講座を一コマ設ける 72
 コミュニケーションの確立→ロールプレイ 67
 現実問題になっている不登校とかいじめとかをテーマに学ぶ。小児や母性看護につながるから。 61
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学校の中のジェンダー


第一問、グループで「女らしさ」について考えてみてください。

男性チームは最後に発表してもらいましょうか。

→女らしさ:やさしさ、料理、家庭、おしとやか、グループ、髪ながい、化粧、縫物、ハンカチ、いい香り
(男性チーム):上品、几帳面、スカート、ブラジャー

女性の考える女らしさと男性の考える女らしさには少しづれがあるようですね。

男らしさ、女らしさとはいつ頃から言われ始めたと思いますか。皆さんもしっているナイチンゲールは、1881年の講演ですでに「看護に重要なのは女らしさ」と言っています。この女らしさとは、もの静かで、優しく、辛抱づよく、許すこと、だと言います。

これは、18世紀のブルジョワジー、中産階級に広まった考えで、いわゆる良妻賢母というものですね。その背景には、お父さんとお母さんが一緒に仕事をする家内生産から、お父さんが別の場所に働きに行くようになったと言う産業社会の影響もあります。日本では大正期にこうした考えが紹介されたようです。

では、第二問、学校で男、女を感じるときはどのような場面ですか?ちなみに、中学、高校は共学校でしたか?(全員が共学。一人が男女別クラス。)

→卒業アルバムの委員が全員女子だった、テントは男がつくる、体育は男女別

体操服はどうでしたか?

→男女同じ

制服は、学校で男女を分ける最たるものだと思います。明治30年ころに「女学生」という言葉が出始めましたが、これは中流階級の活発な娘さんを象徴する言葉でした。大正期には、女子体育でより機能的な衣服が求められブルマが取り入れられました。つまり、女子学生の制服は、活発で機能的な身体性を表現していると言えます。同時に、清楚、女性らしさの象徴であり、まなざしの可視化であったと言えます。このように、衣服や体育など身体に関することがらと、ジェンダーはとても強く結び付いています。看護師についても同様のことが言えるかもしれません。戴帽式の時、男子はナースキャップを女子と違った付け方をしていましたね。
ジェンダーとは、もともと文法用語でしたが、1960年代、アメリカで始まった第二期フェミニズム以後、生物学的な性差を指すセックスに対し、文化的・社会的に作られ意味付けられた性差を示す用語として用いられました。それまでは、セックスという言葉しかなかったため、生物学的性差と性役割は切り離せないものとして認識されていました。例えば、「出産するのは女性だから、女性が育児をするのは当たり前だ」というように、生得的な性差によって、特定の性役割を担うことが「当然」「自然」であるとみなされる、ということです。しかし、「男らしさ」や「女らしさ」とうのは、学習によって習得されていく、と考えられました。これを性の社会化といいます。「~らしさ」というのは、「医者らしさ」「看護師らしさ」「教師らしさ」など社会的カテゴリーと結びつけた職業人像を指すときにも使われます。「男らしさ」「女らしさ」が取り上げられるのは、あらゆる日常生活場面の隅々に浸透しているからです。

では、第三問、男、女で損したと感じる場面はありますか。

→家事、門限、痴漢、お金かかる(化粧、服)
(男性チーム)レディースデイ、力仕事、プロポーズは男から。

女性が損していることを最もよく表しているのが賃金ではないでしょうか。日常生活の中で見えやすい性差別は、男女間の賃金格差や就労形態の違い、管理職の割合の格差などが挙げられます。古いデータですが、平成15年の男性賃金を100としたとき、女性の賃金は68程度しかありません。つまり、男性が30万円もらっていたとしたら、21万円程度しかない、ということです。スウェーデンは91.2、オーストラリアで88.5と、日本はまだ賃金格差が大きいと言えます。それは、女性に昇進機会が少ないことにも影響し、「ガラスの天井」と呼ばれたりします。しかし、家庭や職場、政治の領域で男女平等になっていると答える人が2割から4割であるのに対し、学校については65%以上と高くなっています。しかし、実はそこに隠れた男女意識の刷り込みがあり、それが男女性差の再生産につながるのではないか、と指摘されるようになりました。
例えば、高校受験についてみると普通科は男女数がほぼ均衡しますが、工業高校や水産高校には男子が、商業高校、家庭科、看護科、福祉科には女子が多いというパターンになっています。大学の専攻では、社会科学(1993年18.7%→2003年30.7%)や農業(29.9%→41.3%)、保健(42.7%→56.9%)の分野で女子学生の割合が増え、一方で家政学で男性(6.3%→10.3%)が増えるというように性別役割の流動化も見えますが、大きな傾向として人文科学、教育、家政学、芸術の学部に女子が多く、工学、商船、理学に男子が多くなっています。
また、教員についてみても、学校段階が上がるほど女性の比率が下がります。幼稚園教諭の98.4%が女性、小学校教諭では65.1%ですが、中学校では40.3%、高校では25.1%、大学では13.2%となります。これは、子どもに対するケアを施す仕事を女性が希望した結果です。このように、気づかない内にジェンダーに適した生き方が提供され、それを自分のなかに組み込まれているのはなぜか、それは学校教育のなかでそうした意識が形成されるからではないか、と関心を寄せるのが学校におけるジェンダー研究と言えます。
(住田正樹・田中理絵「12ジェンダーの世界」住田正樹・鈴木晶子『教育文化論-人間の発達・変容と文化環境』放送大学教育振興会、pp.187-198

(学校生活の中で感じる性役割について考える)

1990年代半ばごろからジェンダーの視点によって学校を見なおそうという動きが活発化しました。ジェンダーバイアスの是正が試みられたわけです。学校における性の不平等、性役割の固定化/分別化、男子優位主義、などです。それは、どのような言葉づかいをすべきか、とか、偏見や差別を取り除くべきだ、という視点よりは、それがなぜ生み出されるのかというメカニズムを明らかにする視点を取ります。例えば、子どもとの関わりにおいて性別はどのように捉えられているのか、また性別によって子どもに対してどのような対応をしているのか、性別によって子どもをどのような方向へと導いているのかなどのメカニズムを明らかにすることなどです。
ここで、ジェンダー問題が教育問題として、いじめや不登校、学級崩壊などが「問題である」とされることとは異なるイシューであることを考える必要があります。学校という場では、まず問われるのは解決の緊急性です。いじめや非行が問題として注目されるのは、それらが人を傷つけると判断されるためです。また、それが外から見てもわかりやすいからです。
また、男女平等教育との違いも混同されがちです。例えば、男女混合名簿を導入するということと、更衣室も一緒にすることを一緒に考えるべきなのか。それぞれの意図は何なのか。ジェンダーという言葉がなぜ必要になったのか、どのようなことが問題で何を考えなければいけないのか、が不明瞭であるために「問題」として取り扱われにくいという側面もあります。男女平等教育は、男女共同参画社会の実現に向けた行政主導による規格化された問題領域、ということができます。それは差別の撤廃を目的としており、実践としてもわかりやすい。一方で、ジェンダー問題というのは、ジェンダーを考えることで、これまでに見えなかった学校教育の問題点や課題を考えること、が目的とも言えます。これは、多文化共生、というアプローチでも同様のことが言えるかもしれません。
例えば、委員会活動で性役割が固定されていなかったか、家庭科の授業の中でどのような性役割が暗黙の内に設定されていたか。ジェンダー問題を考えることで、何が問題と鳴っているかを発掘し、問題とするのかと同時に、ジェンダー関係の変容自体が目標となります。この点が、問題を解決し、問題を消滅させる、ということを目標とする他の学校問題と異なります。
例えば、男女混合名簿、下駄箱や教室内表示における色分け、「さんづけ」の徹底、学内行事における男女別のグループわけなどの見直しは、その「当たり前」を見直すことでこれまで「女/男」という境界線をどのように使用していたのかを意識化することにつながります。通常、そうした「性」は学校の中で慎重に扱われ、表にでることがありません。しかし、授業中に男子がよく発言するクラスで「女子も元気出して」と声をかけたり、「そこの男の子たち静かにしなさい」と注意したり、生徒には「これはしてはダメだ」と注意しておきながら、後で同僚同士では「この時期の男の子だからしかたがないんですけどね。」と話したりする。こうして、教員には「性」がハッキリ意識されていることもあります。
そして、教師もまた「性」役割のイメージを押し付けられる対象でもあります。
小中学生を対象とした調査では、「男・女に生まれてソンをした」と感じるのは、「学校で感じる」方が「家庭で感じる」よりも比率が高かったそうです。
(吉原恵子2003「14学校のなかのジェンダー問題」苅谷剛彦・志水宏吉編著『学校臨床社会学―「教育問題」をどう考えるか』放送大学教育振興会,pp.203-220