●入学式と絡めて
先週は入学式がありましたね。案内していただいた人の一つ一つの動作が折り目正しくて、良い教育がされてるんだな、と感じました。お茶を出す時に、きちんと右側に回って出してくれるんです。こういったとき、みなさんはどういうことを思いますか?ああ、右側から出すのか、覚えておこう、と思いますか?それとも、なぜ右側から出すんだろう?と思いますか?→挙手
他に、入学式でみなさんは、どんなことが印象に残ってますか?
僕は、とても緊張したんですけど、みなさんはどうでしたか?起立と着席を繰り返しますよね。あれが苦手なんですよ。でも、ああしたことをきちんとされているのを見ると、ああ、良い式だな、と感じるんですよね。たぶん、それもおもてなしの一つだと思うんですよ。初めて会う入学生に対して、卒業式だとこれまでお世話になった恩師に対して、礼節を尽くす、言葉でいえないから、動作で表すんですよね。
そして、すぐに国歌斉唱になったでしょ。大阪では問題になってますよね。歌って、受験科目には特別な人でない限りはいらないですけど、生きてる中でとても大きく影響しますね。先週、ミュージックステーションを見てて、ああ、その時々にいろいろな歌があったなぁ、と思い出しました。
みんなで一緒の旋律を歌う、というのはいつごろから始まったと思いますか?(明治時代?)今日の新聞の記事に、日本で斉唱が始まったのは16世紀ごろ、という話しが紹介されていました。日本語は、一音一音がはっきりしているので、斉唱しやすいみたいですね。だから、AKBのようなユニゾンで歌うグループが流行る、というような話がありました。ただ、明治時代は日本が富国強兵を合言葉に国を挙げて教育をしたころですね。そのころには、学校での推奨歌、というのもあったのかもしれません。
昔話の多くは口で伝えられてましたけど、それだけだと覚えられないから歌にして伝えたって言われますよね。歌は、そうした何かしらの価値を伝える手段なんですね。君が代は、そこに戦争を思い出す人がいる、ということで議論になるんですね。
つまり、何をみんなの歌とするかは、どのような価値を大事にするかという合意がないと決まらない。そして、その価値を大事にしているかどうかを、歌うという動作で判断するんですね。そうして、何度も何度も歌っているうちに、慣れていく。これを、価値の身体化といいますけど、そこに教育が関係してくるんですね。
来賓の方のお話しにもありましたよね、心身一如って。これは、体に着目した話しですけど、別の意味ですね。つまり、頭で分かっているだけではだめだと。思っていることが行動になって現れないといけない。これは、看護師を目指される皆さんはなおのことですが、専門的知識を持っていて、状況に応じて一番適切な方法をとるように自然と体が動く。これを習熟といいます。佐藤君はサッカーをするからわかるでしょう。誰にパスを出せばいいか、ゲームの流れを読んでとっさに判断しないといけない。
僕は、この前の入学式に参列させてもらったときに、こんなことを考えていたんです。
●前回の振り返りと絡めて
(チーム分けを、誰をメンバーにするかを学生に選んでもらったことから、
選ぶという行為の及ぼす影響、選ぶ選択肢がなくなった人たちの気持ち、について触れる。
多数決で発表テーマを決めたことについて、多数決というのは民主的な方法なのかどうか、
について触れる。)
●ユニット0 教育学とは何か
ユニット0をグループで読み、何回も出てきている言葉を探す、
教育学についての説明を探す 5分
説明 7分
まず、何回も出ている言葉がありますけど、何だと思いますか。
「反省的」という言葉ですね。リフレクティブ、という英語です。
まず、今の教育学は、反省が大好きだ、と覚えておいてください。
次に、教育学とは何だ、と書かれていましたが。
教育をみるめがねを学問の方法を用いて提供する学問、ですね。
ここ、大事ですので、線を引いておいてください。
次に、教育というものの性格について、という見出しがありますね。
専門書は、まずこうした見出しをざっと追っていってください。
見出しは、そこで一番いいたいことが書かれています。
では、文章の中で、いいたいことを探すときはどうすればいいですか?
接続詞に着目するんでしたね。
A=A’、A≠B、A→Cと、段落を固まりにして読む。
「すなわち」とか、「つまり」という言葉があると、その後は大事。
「しかし」の後は筆者が主張したいことだから大事。
「例えば」は話しとしては面白いけど、その前で言ってることと同じ。
なので、ここでは、「人々は共同社会の中に埋め込まれており、
その成員づくりが教育であった」が大事ですね。
これは、どういうことでしょうか。
例えば、この学校は、病院ができてから作られていますね。
なので、その病院でこうした看護師さんが必要だな、と考えられて
その教育のために作られたわけです。このとき、病院、そこでの
お医者さんや看護師、患者さんたちの共同体で大事とされたことが、
いま伝えられているんですね。
次の、教育学の成立の基盤、は少し難しいですね。
「教育学は、共同体社会が崩れ、そこに埋没していたタブララサ(白紙)
としての子どもが発見され、子どもにどう働きかけたらよいのかという
問いに応える形で登場してきた」というところに線を引いてください。
そして、次のページ、「子どもそれ自体を価値あるものと捉えること、
国家を構成する人物の養成という二つの課題が生み出す葛藤を含み
ながら教育学は作り上げられていく。」というところにも線を。
どういうことがイメージできますか?
ラピュタを見たことありますか?パズーが厳しい親方の下で働く
シーンから始まりますよね。パズーは、自分にできることを
精一杯やっている。親方も、働き手の一人としてみてますよね。
年齢でいうと、今の中学1年生くらいじゃないですか。
どうも炭鉱で働いているようなので、すでに産業化、つまり
近代に入っているようですけど、どうもパズーは学校に言っている様子はない。
ちなみに、近代を一番イメージしやすい比喩は機械ですね。
チャップリンという人のモダンタイムズ、などの映画が思い出されます。
一方で、エバンゲリオンでは、選抜されて、特殊な教育を受けた
アスカとかが乗組員になっていますよね。あれは、ネルフという機関が
母体となって、将来的に有望な子どもに対して教育を行ってるんですね。
なにかよくわからないけど、人類に危機が迫っていて、その危機から
救うために、エバンゲリオンという機械だか何かよくわからないものを
操縦できる子どもを育てる。
でも、シンジ君みたいに、センチメンタルな子もいるから、
単に強くなれ、とも言えないような状況もある。こんな感じでしょうか。
つまり、教育というのは、近代や国家というものととても仲良しだということです。
次の教育科学の登場と、ペタゴジーとしての教育学というのが、
これまで入学式とか、チーム分けでお話ししたことです。
どうやって教えればいいか、というのがペタゴジーで、
これを教えることに価値があるのか、なぜ価値があるとみなされたのか、
教えるという行為を成り立たせている背景は何か、などを考えることに
分けられるんじゃないか、という話です。
例えば、どうやったらみんな僕の話しを聞いてくれるかな、と考えて工夫するのが
ペタゴジー。一方で、なんで看護師になるのに教育学なんて勉強しないと
いけないんだ、そもそも看護師になるための教育って何なんだ、とかを
考えるのが教育科学というところでしょうか。
でも、そんな簡単に分けられないよね、と最後に言ってます。
ちょっとしんどくなってきましたね。次が最後です。
教育学がどのような構成になっているか、ということで、
ここは□で囲んでおいてください。
まず、教育とは何かに関わる研究、
つぎに、教育がいかに、どのように行われてきたかという研究
そして、教育をどう行うかに関わる研究です。
みなさんが選んだ、
子ども観は、教育をどうとらえるかという質問への回答です。
学びの空間のデザインや教育相談は、
どう教えるかというペタゴジーに関係することですね。
子どもの学習と参加の権利は、今どんなことが課題になっているか、
ということです。
では、班で、同じところに線が引けているかを確認してください。
できた班は、ユニット31を開いてください。
いきなり結論を見ておきましょう。
接続詞をマークしながら、
どんなことが書いてあるかを読んでみてください。
●グループ活動 一年生に伝えたいこと
先週、入学生を見てどのようなことを感じましたか。
みなさんは、入学生よりも一年多く、看護師を学ぶ人としての経験を持っていますね。
どんなことを伝えたいと思いますか。
グループで24字でまとめてみてください。
音として24字ですので、「遠い」と漢字を使っても、「とおい」と3字で数えてください。
できましたか。
実は、これはみなさんの学校の校歌のワンフレーズと同じ文字数なんです。
では、歌ってもらいましょう。
どうですか。
恥ずかしい、という気持ちで歌えないこともあるでしょうけど、
歌うという行為が価値を身体を使って伝える行為であることを感じてもらえればと思います。