校内にクラスが設けられ、研修を受けた教員により、協働と探究、大学見学やゲストスピーカーによる講演によるやる気の向上、ノートの取り方などの勉強の仕方などを身に付けることに授業が行われる。特に、書くこと、探究すること、協働すること、読むことが重視される。教師は長期的な個人の学習計画も指導し、他の教員や校長、大学の入試担当者との折衝における代理人も務める。大学生を含む、研修を受けたチューターがクラスの探究活動のファシリテーションをする。
例えば、小学校では話したり書いたりするコミュニケーションスキルや組織運営のスキル、学習習慣や読み書きのスキルに焦点が当てられ、ミドルスクールや高校の準備がなされる。
The Student Success Pathと呼ばれる大学準備カリキュラムでは、読み、書き、学習スキル、テストの受け方、組織づくり、批判的思考、目標設定、大学選び、大学入試準備などに焦点があてられる。
The write pathと呼ばれるプログラムでは、数学や理科、英語、歴史や社会科学の分野における適切なリテラシースキルに焦点があてられる。
Avid Centerが教員研修を提供し、夏期講座(一人当たり670-845ドル)、学区の幹部教員向けイベント、全国大会、データ分析研修(一人500ドル)、校長や教科主任向けの2日間研修(500ドル、385ドル)などがある。
米国教育局がプログラムの査定をする2010年WWCレポートによれば、根拠となるデータが少ないので効果については検証できないとされる。
http://ies.ed.gov/ncee/wwc/interventionreport.aspx?sid=19
テキサスのオースティン独立学区では、1999年から2002年にかけての調査で、AVIDの生徒の方が学年末テストの結果がよいとされている。ただし、比較の土俵となる人種構成や家庭の経済状況が統制されているわけではない。
http://www.austinisd.org/sites/default/files/dre-reports/01.20_The_AVID_Program_in_AISD_1999-2002.pdf
しかし、AVIDを学内のコミュニティづくりや文化資本の形成の観点から価値づけ、社会経済的に恵まれない生徒にとって意義ある取り組みとみなす研究もある。
The Advancement Via Individual Determination (AVID) Program: Providing Cultural Capital and College Access to Low-Income Students
http://files.eric.ed.gov/fulltext/EJ1004339.pdf
また、今日の標準テストの蔓延する米国の教育において、教員のライフヒストリーという観点から、社会的正義を実現する仕事としてAVIDを捉える見方もある。
Teachers ’ Beliefs about Educational Justice in an Advancement via Individual Determination
http://www.hrpub.org/download/20140205/UJER13-19502040.pdf
AVIDを立ち上げたMary Catherine Swansonの初期の実践から伺えるのは、コーネル式ノートというわかりやすい取り組みをシンボルとして、クラスが協働して探究的学習に向かう仕掛け、そのために、英語がうまく話せなくても安心して発言できるクラスづくりを行った点である。
では、このようなクラスづくりだけで生徒のモチベーションは高まるのだろうか。彼女のクラスは、ほとんどが4年制大学に進学し、数学の成績も良かったという。ここで思い出されるのは、ドキュメンタリー映画にもなったハイメ・エスカランテの実践だ。彼も同じく、社会経済的には恵まれないヒスパニックの子どもたちの多くを大学に進学させ、数学の点数も上げた。その手法は、カルト的とも言えるクラスづくりだった。
これら実践を分析する上で、両者の間に共通する、カリフォルニアにおけるヒスパニック系移民の性質をどのように捉えるのかが重要になってくる。一つの観点として、80年代の移民と、今日の移民が、その上昇志向や第一世代の家庭的ハビトゥスにおいてどのような違いが見られるのかをおさえておく必要があろう。
The AVID Classroom : A System of Academic and Social Supports for Low-Achieving Students
http://files.eric.ed.gov/fulltext/ED368832.pdf
日本ではその起源とプログラムの概要を踏まえ、OECDの定義を参照し、すべての人に保障される最小限の教育スタンダードを意味するインクルージョンよりは、社会経済的地位や民族のように取り除かれるべき教育的成功の障害という意味のフェアネスの概念に近いものと位置付ける研究がある。
http://www.owc.ac.jp/pdf/36kiyo.pdf
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