学校改善と学校の個別性についての調査
蔵田幸三
東京大学大学院教育学研究科教育行政研究室紀要 第17号
はじめに
「学校組織風土」とは、個別学校の教職員が共有している行動様式や学校に漂う雰囲気のことを指している。我々は、学校がそれぞれに持つ雰囲気や風土はどのようなものとして理解することができるのか、また、それらがどのような要因により生み出されるのかということを調査することした。
調査手続き、回収率
T県、I県の全公立中学校904校の校長を対象とした。有効回答率48.1%。調査期間は1997年8月1日から8月31日。調査方法は郵送法で書く中学校に質問票を配布し、同封の返信封筒によって返送する方式を用いた。
質問内容の構成
学校及び校長の属性
学校組織風土 25項目 5段階
校長のリーダーシップ特性 28項目 5段階
教育目標・校長の共振行動
教育計画書を保護者に対して公開しているか
教育経営案を公開しているか
教育目標や計画に関して 4項目 4段階
重点目標を決める際の参考 11項目 4段階
決定に際し誰の意見を参考にしたか 14項目 4段階
父母・地域の特性 8項目の中から最も近い物を一つ
地域と学校の関わり
地域と学校との関わりについての校長の期待・信念
生徒の現状と教師が持つ生徒指導観
単純集計と質問群の因子分析
学校組織風土に関して抽出された因子「親和性」「他律性」「調和性」「民主性」「多忙性」
校長のリーダーシップ特性に関して抽出された因子
「権威依存」「強力」「合意重視」「他者比較」「合理的」「校長優位」
父母・地域の特性に関して抽出された因子 「伝統重視」「低階層」「文化性」「過疎」
地域と学校の関わりに関して抽出された因子
「学校評判」「学校・地域連携」「教育熱心」「地域活発」
教師が持つ生徒指導観に関して抽出された因子
「指導の共通性」「指導の個別性」「教師理念先行」「自律性尊重」
因子間の相関分析
「学校組織風土」と「校長のリーダーシップ特性」は深く関係を有していると考えられる。「学校組織風土」と「父母・地域の特性」はそれほど強い関係を持っていない。それよりも「学校組織風土」と「地域と学校との関わり」とのほうが関係が強い。また、「学校組織風土」と「教師が持つ生徒指導官」は深く関係している。
今回用いた因子分析の方法は、各質問群に関係する質問項目全てについて、主体角要素に全て主成分分析を施して因子を抽出した後、バリマックス回転を行い、固有値1条の複数の因子を抽出した。その析出された因子に含まれる質問項目の中で、「.500」以上の因子負荷量を示した項目を、因子負荷量が大きい順に並び替え、各因子について解釈を行った。
因子間の相関を検討するに当たっては、核質問群において析出された因子について、各因子ごとに合成変数を作成し、それぞれに対応する相関係数を求めた。
土曜日, 1月 06, 2007
学校改善を規定する学校文化の構成要因に関する実証的研究
学校改善を規定する学校文化の構成要因に関する実証的研究
中留武昭 露口健司
教育経営学研究紀要、1997、第4号、51-76
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/755/1/KJ00000042597.pdf
はじめに
調査の対象・方法
本調査の設問の枠組みは編成7年度の調査分と同様であるが、対象が教員であることから学校文化を教員から見て回答可能なように一部その表現を変えている。また対象地区も変えた。
調査の枠組み
調査結果の分析
学校改善とリーダーシップ行動
各ミクロ文化の全体的傾向
消極的文化としての浸透度が高い項目の中で、かつ校長・教員双方の認識のズレが少ない項目が、学校改善の阻害要因として強く認識された項目とほとんど一致する。
協働性は学校文化を作っていくうえでの最も重要なキー。
教員の自律性が消極的な傾向にあるという点は教員としての仕事の専門性を阻害するような要因、事務的仕事の多忙観などの存在があることも否定できない。
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/755/1/KJ00000042597.pdf
中留武昭 露口健司
教育経営学研究紀要、1997、第4号、51-76
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/755/1/KJ00000042597.pdf
はじめに
調査の対象・方法
本調査の設問の枠組みは編成7年度の調査分と同様であるが、対象が教員であることから学校文化を教員から見て回答可能なように一部その表現を変えている。また対象地区も変えた。
調査の枠組み
調査結果の分析
学校改善とリーダーシップ行動
各ミクロ文化の全体的傾向
消極的文化としての浸透度が高い項目の中で、かつ校長・教員双方の認識のズレが少ない項目が、学校改善の阻害要因として強く認識された項目とほとんど一致する。
協働性は学校文化を作っていくうえでの最も重要なキー。
教員の自律性が消極的な傾向にあるという点は教員としての仕事の専門性を阻害するような要因、事務的仕事の多忙観などの存在があることも否定できない。
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/755/1/KJ00000042597.pdf
学校改善を規定する学校文化の要因に関する調査
学校改善を規定する学校文化の要因に関する調査
-校長に対する意識調査の結果から-
代表 中留武昭
教育経営 教育行政学研究紀要、1996、第3号、39-84
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/824/1/KJ00000685495.pdf
はじめに
この研究は、最終的には学校改善を促進するべく日・米の校長のリーダーシップスタイルの類型化を行うことを通して、日本固有の文化的リーダーシップのスタイルを学校改善に向けて新たに仮説し、このスタイルと他のスタイルとの関連性及びこのスタイルの解釈とこれを形成していくための実践的な戦略とを解明することにある。
本調査は、校長のリーダー行動が学校改善にいかに機能していくかを校長の意識を通して解明する。一方で、本調査には限界点がある。この調査がその相手側を直接回答の対象者にしていない点と、いまひとつは単位学校をトータルなターゲットとしていない点にある。しかしながら、本調査は母集団を一定の市地区の義務制の校長に絞ったことにおいて、同市の校長による学校文化に関する一般的、全体的な認識傾向を知る上では一定の意味を持つものである。なお、引き続き、大阪府負荷の義務制の学校を中心に単位学校における校長及び教員を対象とした同じ設問項目による調査も行っている。さらに平成8年度においてはフィールドワークによるケーススタディ調査も予定している。
調査の基本的視座と分析の枠組み
ここでは、まず次のような定義をしている。「学校改善とは各学校が子どもの行動変容を目指した教育実践の質をよりよく図るために、学内外の諸条件を開かれた協働によって組織化していく活動である」とする。この定義と関わった学校改善の構成内容上の特色としては、①学校改善の対象は制度としての学校教育一般ではなく、各学校としての単位学校における計画的、組織的な改善である。②改善の最終目標は子どもの行動変容にある。③改善の中心領域は学校経営の中心でもある教育課程経営にある。④改善の戦略は学内外における「開かれた協働」である。
学校改善のアプローチは他にも①人的資源アプローチ②構造的アプローチ③政治的アプローチ④自由市場的アプローチなどを提示する研究者もいるように、学校文化的アプローチのみが改善のための万能薬というわけではない。しかしながら、アメリカにおける最近の学校改善研究の多くは学校改善を促進するキーパーソンとして、「学校指導者」としての校長のリーダーシップの力量を実証的に明らかにしてきている。
つぎに学校改善を規定する学校文化については、「各学校に固有のものとして形成されている規範、慣習、価値、信念や行動様式などの認識枠組み」を意味している。そしてこのような学校文化には顕在化した文化と目に見えにくいが潜在化した文化とがある。
また、学校改善のための学校文化の構成領域としては、教育課程文化(わが校の教育課題ということも可能)、児童・生徒文化(学級文化が中心)、教員の文化とこれら3つのミクロ文化を支える組織文化(この場合、組織文化は狭義の学校文化と言い換えても良い)とから成り立っているものと考えられる。
調査の概略と対象者の属性
調査票はA表とB表の二部構成からなり、A表は大きく校長による学校改善の現状認識と校長のリーダー行動の主たる領域の部分と校長のリーダー行動の特性及びリーダー行動の阻害要因からなっている。また、B表はいずれも学校文化に関する項目で、これは4つの上記のミクロ文化のグループから構成されています。このとき、設問の記述表現としては消極的文化の内容表現にした。これは、表現内容を積極的文化の内容とした場合、回答が安易に流れやすくなるのを防ぐためであった。これらのミクロ文化の各項目を見たとき、大きく①協働性、②自律性、③実験性に類型化できよう。
調査結果の分析
教育課題の現状把握(千々布敏弥、大野裕己)
校長のリーダー行動の特性と学校文化(元兼正浩)
校長が文化的リーダーシップを発揮するためには、その前提として同一校での勤務年数の長期化を測っていく必要がある。
学校文化の構成要因の分析(中留武昭、露口健司)
協働性とは、学校内での同僚関係を中心として、参加、意思決定、信頼と支援体制、情報へのアクセスなどを含んだ概念である。自律性とは、教職員の自律性や専門性、さらにはその背景にある責任性までを含めた概念である。実験性とは、革新性を初め、計画-実施-評価のサイクルなどによって仕事を追行していく技術過程までを含んだ概念である。
全体的にいえることは、どのリーダーシップスタイルをとっても、組織文化以外の他の3つのミクロ文化においては大きな違いは見られない。
協働性の形成には教育的リーダーシップと文化的リーダーシップとの2つが相補関係として関連し合っているものと思惟される。
要約と結論
文化的リーダーシップは、教師が指導方法を変えようとしない文化や事務処理での多忙な文化、また旧態然とした集団の枠組みを維持している学級文化といったようないずれも変革する実験的文化とも関わっている。
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/824/1/KJ00000685495.pdf
-校長に対する意識調査の結果から-
代表 中留武昭
教育経営 教育行政学研究紀要、1996、第3号、39-84
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/824/1/KJ00000685495.pdf
はじめに
この研究は、最終的には学校改善を促進するべく日・米の校長のリーダーシップスタイルの類型化を行うことを通して、日本固有の文化的リーダーシップのスタイルを学校改善に向けて新たに仮説し、このスタイルと他のスタイルとの関連性及びこのスタイルの解釈とこれを形成していくための実践的な戦略とを解明することにある。
本調査は、校長のリーダー行動が学校改善にいかに機能していくかを校長の意識を通して解明する。一方で、本調査には限界点がある。この調査がその相手側を直接回答の対象者にしていない点と、いまひとつは単位学校をトータルなターゲットとしていない点にある。しかしながら、本調査は母集団を一定の市地区の義務制の校長に絞ったことにおいて、同市の校長による学校文化に関する一般的、全体的な認識傾向を知る上では一定の意味を持つものである。なお、引き続き、大阪府負荷の義務制の学校を中心に単位学校における校長及び教員を対象とした同じ設問項目による調査も行っている。さらに平成8年度においてはフィールドワークによるケーススタディ調査も予定している。
調査の基本的視座と分析の枠組み
ここでは、まず次のような定義をしている。「学校改善とは各学校が子どもの行動変容を目指した教育実践の質をよりよく図るために、学内外の諸条件を開かれた協働によって組織化していく活動である」とする。この定義と関わった学校改善の構成内容上の特色としては、①学校改善の対象は制度としての学校教育一般ではなく、各学校としての単位学校における計画的、組織的な改善である。②改善の最終目標は子どもの行動変容にある。③改善の中心領域は学校経営の中心でもある教育課程経営にある。④改善の戦略は学内外における「開かれた協働」である。
学校改善のアプローチは他にも①人的資源アプローチ②構造的アプローチ③政治的アプローチ④自由市場的アプローチなどを提示する研究者もいるように、学校文化的アプローチのみが改善のための万能薬というわけではない。しかしながら、アメリカにおける最近の学校改善研究の多くは学校改善を促進するキーパーソンとして、「学校指導者」としての校長のリーダーシップの力量を実証的に明らかにしてきている。
つぎに学校改善を規定する学校文化については、「各学校に固有のものとして形成されている規範、慣習、価値、信念や行動様式などの認識枠組み」を意味している。そしてこのような学校文化には顕在化した文化と目に見えにくいが潜在化した文化とがある。
また、学校改善のための学校文化の構成領域としては、教育課程文化(わが校の教育課題ということも可能)、児童・生徒文化(学級文化が中心)、教員の文化とこれら3つのミクロ文化を支える組織文化(この場合、組織文化は狭義の学校文化と言い換えても良い)とから成り立っているものと考えられる。
調査の概略と対象者の属性
調査票はA表とB表の二部構成からなり、A表は大きく校長による学校改善の現状認識と校長のリーダー行動の主たる領域の部分と校長のリーダー行動の特性及びリーダー行動の阻害要因からなっている。また、B表はいずれも学校文化に関する項目で、これは4つの上記のミクロ文化のグループから構成されています。このとき、設問の記述表現としては消極的文化の内容表現にした。これは、表現内容を積極的文化の内容とした場合、回答が安易に流れやすくなるのを防ぐためであった。これらのミクロ文化の各項目を見たとき、大きく①協働性、②自律性、③実験性に類型化できよう。
調査結果の分析
教育課題の現状把握(千々布敏弥、大野裕己)
校長のリーダー行動の特性と学校文化(元兼正浩)
校長が文化的リーダーシップを発揮するためには、その前提として同一校での勤務年数の長期化を測っていく必要がある。
学校文化の構成要因の分析(中留武昭、露口健司)
協働性とは、学校内での同僚関係を中心として、参加、意思決定、信頼と支援体制、情報へのアクセスなどを含んだ概念である。自律性とは、教職員の自律性や専門性、さらにはその背景にある責任性までを含めた概念である。実験性とは、革新性を初め、計画-実施-評価のサイクルなどによって仕事を追行していく技術過程までを含んだ概念である。
全体的にいえることは、どのリーダーシップスタイルをとっても、組織文化以外の他の3つのミクロ文化においては大きな違いは見られない。
協働性の形成には教育的リーダーシップと文化的リーダーシップとの2つが相補関係として関連し合っているものと思惟される。
要約と結論
文化的リーダーシップは、教師が指導方法を変えようとしない文化や事務処理での多忙な文化、また旧態然とした集団の枠組みを維持している学級文化といったようないずれも変革する実験的文化とも関わっている。
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/824/1/KJ00000685495.pdf
学校改善を規定する学校文化の要因に関する調査 質問用紙
学校改善を規定する学校文化の要因に関する調査 質問用紙
九州大学教育経営学研究室 代表 教授 中留武昭 助手 元兼正浩
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/824/1/KJ00000685495.pdf
お願い文
挨拶、校務多忙な折、突然にこのような調査のご協力をお願いする非礼をお許し下さい。
目的
対象者
処理方法、用途
校名は公表しない
締め切り、返送方法
問合せ先
調査結果を報告、申し込み方法
A調査
教育課題の中で重要と考える分野 13項目から1つ選ぶ
その改善のために取り組んでいる戦略 12項目から1位、2位を選ぶ
1位に選んだ教育課題の改善の程度は現時点でどれくらいか 4択
リーダー行動をとる際に重点を置く分野 10項目の中から「実際」と「理想」を選ぶ
全校集会での講話が関係者の行動にどの程度影響を与えると考えるか 5項目4択
校長先生としての教育信条(信念)を一行見出し風に
リーダー行動をとる際に重点をおくこと 4項目の中から「実際」と「理想」を選ぶ
リーダー行動をとることを困難にさせている要因 14項目の中から1位、2位を選ぶ
今後の学校の役割として望ましいと考えること 2択
B調査
学校の現状について 11項目5択
上記現状を当然と考える教師はどれくらいいると思うか 11項目3択
※ 校長に対してのみ行っている調査なので。教員に聞いていないため。
※ 同じ形式で、10項目、14項目、9項目でさらに聞いている。
学校種別、学校規模(学級数)、職員数(男女)、職員団体の加入率
校長としての経験年数(通算)、本校における校長経験年数
教育行政経験の有無(年数)、教頭職経験の有無(年数)、性別、年齢
よろしければ学校名をご記入ください。
なにかご意見がございましたら、ご自由にお書きください。
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/824/1/KJ00000685495.pdf
九州大学教育経営学研究室 代表 教授 中留武昭 助手 元兼正浩
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/824/1/KJ00000685495.pdf
お願い文
挨拶、校務多忙な折、突然にこのような調査のご協力をお願いする非礼をお許し下さい。
目的
対象者
処理方法、用途
校名は公表しない
締め切り、返送方法
問合せ先
調査結果を報告、申し込み方法
A調査
教育課題の中で重要と考える分野 13項目から1つ選ぶ
その改善のために取り組んでいる戦略 12項目から1位、2位を選ぶ
1位に選んだ教育課題の改善の程度は現時点でどれくらいか 4択
リーダー行動をとる際に重点を置く分野 10項目の中から「実際」と「理想」を選ぶ
全校集会での講話が関係者の行動にどの程度影響を与えると考えるか 5項目4択
校長先生としての教育信条(信念)を一行見出し風に
リーダー行動をとる際に重点をおくこと 4項目の中から「実際」と「理想」を選ぶ
リーダー行動をとることを困難にさせている要因 14項目の中から1位、2位を選ぶ
今後の学校の役割として望ましいと考えること 2択
B調査
学校の現状について 11項目5択
上記現状を当然と考える教師はどれくらいいると思うか 11項目3択
※ 校長に対してのみ行っている調査なので。教員に聞いていないため。
※ 同じ形式で、10項目、14項目、9項目でさらに聞いている。
学校種別、学校規模(学級数)、職員数(男女)、職員団体の加入率
校長としての経験年数(通算)、本校における校長経験年数
教育行政経験の有無(年数)、教頭職経験の有無(年数)、性別、年齢
よろしければ学校名をご記入ください。
なにかご意見がございましたら、ご自由にお書きください。
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学校の組織風土と組織文化に関する研究動向レビュー
学校の組織風土と組織文化に関する研究動向レビュー
露口健司
教育経営 教育行政学研究紀要、1996、第3号、91-98
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/820/1/KJ00000685487.pdf
アメリカの効果的学校研究、日米の学校改善研究の領域において、組織の文化や風土などのインフォーマルな要因によって学校の組織的効果性が規定されるとの認識が高まってきた。そうした学校の文化を校長のリーダーシップによってどのように形成、変容させるのかを明らかにする。
ここでは、20本の論文を対象としたのであるが、それらを便宜上、
1. 学校改善(革新)への組織風土の影響に焦点をあてたものとして「学校経営組織の革新」
2. 教師の力量形成への組織文化、組織風土の影響に焦点をあてたものとして「研修と教師の力量形成」
3. 狭義の組織文化とリーダーシップとの関係に焦点を当てたものとして「指導者のリーダーシップ」
4. さらにフォロワーとしての教員の文化に焦点をあてたものとして「教員文化」の4項目に分類することとした。
なお、学校の組織風土と組織文化の概念は理論的には明確に区別できるものの、意識調査という実証的なレベルにおいては区別しにくいものであるということができよう。また、両概念の関係としては、「組織文化が組織風土を方向付けている」と、とらえることがかのうであるように思われる。
1.学校経営組織の革新
主に挙げられたのは、林孝の1980年代の広島大学や中国四国教育学会の紀要である。具体的には、オープン・システム論の導入によって(1)組織と個人の調和、(2)専門職としての教師集団、(3)変革の概念を志向し、「自己革新的組織に基づく学校の経営組織論」を確立することを目標とした研究であるといえる。OD(Organization Development)概念について、その学校組織研究への導入の有用性と課題について検討し、組織風土測定の意義を考察し、HalpinとCroftの組織風土モデルを一例として検討を加えている。また、教師の意欲を「教育意欲+研修意欲」と仮定した上で、「教師の意欲」喚起の方策についてHerzbergの動機付け・衛星理論の視点から論及した。教職員集団の共通理解と協働意思による一貫した指導体制確立の必要性を打ち出し、こうした必要に答えるものとして、組織風土研究を位置づけた。組織風土に4つの次元(共感、成長感、満足感、解放感)見出し、これに組織過程変数(リーダーシップ、意思決定、コミュニケーション、協働体制など)による規定因に差異があるとし、各次元2カテゴリー(+か-)によって、組織風土の16類型を作り出した。このように「ある姿」を踏まえたうえで、自己更新の目標となる「ありうる姿」への接近を模索しつつ、分析考察を試みた。具体的に言うと、「ありうる姿」を学校の経営組織が追求すべき成果(「児童・生徒の健全な成長」、「動機付けや意欲の喚起された状態」、「協働を可能にするための場の確保」)としてとらえ、こうした経営組織の成果変数(「あるべき姿」)と教師の認知する組織風土の次元との関連について検討を加えたものである。また、HalpinとCroftの開発したOCDQ(Organizational Climate Description Questionnaire)の測定用具をわが国の小学校に適用した。知見としては、組織風土の因子構成はオリジナルな研究結果に近いものとなったこと、クローズドな風土をもつ学校よりもオープンな風土をもつ学校の方が学校の革新性が高いこと、小規模校の方が大規模校よりも組織風土のオープネス度が高いこと、年齢や地位・職歴が高まる(長くなる)ほど組織風土のオープネス度を高く知覚する傾向があったこと、女性よりも男性の方が組織風土のオープネス度を高く知覚する傾向があったことが挙げられている。
2.研修と教師の力量形成
3.指導者のリーダーシップ
中留武昭「学校文化を形成する校長のリーダーシップに冠する研究(その2)」(1995 九州大学)では、学校規模、学校種別、公私立、地域別に異なった5つのケース(ハイスクール3校、初等学校1校、私立学校1校)事例分析を通して、文化形成のプロセスを描きだすとともに、(1)学校は何であるべきか-その歴史、価値そして信念をベースにおいた学校観(規範)を開発していること、(2)その学校観に最適の教職員を採用(選考)していること、(3)校内の対立をさけるよりもむしろ対立を通して争点を解決し、それを統一化しようとしていること、(4)コアとなる価値や信念をモデル化して、そうした価値を日常の仕事の中において一貫し、継続して強調しようとしていること、(5)共通化された価値を説明すべき講話(物語)をもって語りかけること、(6)学校文化を表現し、強調しようとする差異にとっている伝統作り、儀式、儀礼化などを積極的に図っていること、などが抽出されている。
4.教員文化
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/820/1/KJ00000685487.pdf
露口健司
教育経営 教育行政学研究紀要、1996、第3号、91-98
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/820/1/KJ00000685487.pdf
アメリカの効果的学校研究、日米の学校改善研究の領域において、組織の文化や風土などのインフォーマルな要因によって学校の組織的効果性が規定されるとの認識が高まってきた。そうした学校の文化を校長のリーダーシップによってどのように形成、変容させるのかを明らかにする。
ここでは、20本の論文を対象としたのであるが、それらを便宜上、
1. 学校改善(革新)への組織風土の影響に焦点をあてたものとして「学校経営組織の革新」
2. 教師の力量形成への組織文化、組織風土の影響に焦点をあてたものとして「研修と教師の力量形成」
3. 狭義の組織文化とリーダーシップとの関係に焦点を当てたものとして「指導者のリーダーシップ」
4. さらにフォロワーとしての教員の文化に焦点をあてたものとして「教員文化」の4項目に分類することとした。
なお、学校の組織風土と組織文化の概念は理論的には明確に区別できるものの、意識調査という実証的なレベルにおいては区別しにくいものであるということができよう。また、両概念の関係としては、「組織文化が組織風土を方向付けている」と、とらえることがかのうであるように思われる。
1.学校経営組織の革新
主に挙げられたのは、林孝の1980年代の広島大学や中国四国教育学会の紀要である。具体的には、オープン・システム論の導入によって(1)組織と個人の調和、(2)専門職としての教師集団、(3)変革の概念を志向し、「自己革新的組織に基づく学校の経営組織論」を確立することを目標とした研究であるといえる。OD(Organization Development)概念について、その学校組織研究への導入の有用性と課題について検討し、組織風土測定の意義を考察し、HalpinとCroftの組織風土モデルを一例として検討を加えている。また、教師の意欲を「教育意欲+研修意欲」と仮定した上で、「教師の意欲」喚起の方策についてHerzbergの動機付け・衛星理論の視点から論及した。教職員集団の共通理解と協働意思による一貫した指導体制確立の必要性を打ち出し、こうした必要に答えるものとして、組織風土研究を位置づけた。組織風土に4つの次元(共感、成長感、満足感、解放感)見出し、これに組織過程変数(リーダーシップ、意思決定、コミュニケーション、協働体制など)による規定因に差異があるとし、各次元2カテゴリー(+か-)によって、組織風土の16類型を作り出した。このように「ある姿」を踏まえたうえで、自己更新の目標となる「ありうる姿」への接近を模索しつつ、分析考察を試みた。具体的に言うと、「ありうる姿」を学校の経営組織が追求すべき成果(「児童・生徒の健全な成長」、「動機付けや意欲の喚起された状態」、「協働を可能にするための場の確保」)としてとらえ、こうした経営組織の成果変数(「あるべき姿」)と教師の認知する組織風土の次元との関連について検討を加えたものである。また、HalpinとCroftの開発したOCDQ(Organizational Climate Description Questionnaire)の測定用具をわが国の小学校に適用した。知見としては、組織風土の因子構成はオリジナルな研究結果に近いものとなったこと、クローズドな風土をもつ学校よりもオープンな風土をもつ学校の方が学校の革新性が高いこと、小規模校の方が大規模校よりも組織風土のオープネス度が高いこと、年齢や地位・職歴が高まる(長くなる)ほど組織風土のオープネス度を高く知覚する傾向があったこと、女性よりも男性の方が組織風土のオープネス度を高く知覚する傾向があったことが挙げられている。
2.研修と教師の力量形成
3.指導者のリーダーシップ
中留武昭「学校文化を形成する校長のリーダーシップに冠する研究(その2)」(1995 九州大学)では、学校規模、学校種別、公私立、地域別に異なった5つのケース(ハイスクール3校、初等学校1校、私立学校1校)事例分析を通して、文化形成のプロセスを描きだすとともに、(1)学校は何であるべきか-その歴史、価値そして信念をベースにおいた学校観(規範)を開発していること、(2)その学校観に最適の教職員を採用(選考)していること、(3)校内の対立をさけるよりもむしろ対立を通して争点を解決し、それを統一化しようとしていること、(4)コアとなる価値や信念をモデル化して、そうした価値を日常の仕事の中において一貫し、継続して強調しようとしていること、(5)共通化された価値を説明すべき講話(物語)をもって語りかけること、(6)学校文化を表現し、強調しようとする差異にとっている伝統作り、儀式、儀礼化などを積極的に図っていること、などが抽出されている。
4.教員文化
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/820/1/KJ00000685487.pdf
校長の文化的リーダーシップの語用論的分析に関する試論
校長の文化的リーダーシップの語用論的分析に関する試論
千々布 敏弥
教育経営学研究紀要、1997、第4号、117-126
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/760/1/KJ00000042603.pdf
はじめに
校長がとる経営戦略の一つとしての「文化的リーダーシップ」に焦点をあて、特に文化的リーダーシップが発現される主たるメディアとして、校長の<ことば>に注目し、その語用論的分析を試みるものである。
ここでは、暫定的な定義として「学校文化とは、学校の組織成員が学校の教育活動に関して意思決定する際の背景となる、知識や価値であり、成員はそれを明確に意識する場合もあるが、意識しない場合もあるもの」、「文化的リーダーシップとは、学校文化を自らの理想と考える方向に変革することを意図するリーダーシップ」とする。
学校文化の意義 ハーバーマスを手がかりに
ここでは、学校文化の意義を考察するのに、ハーバーマスによる、了解の概念を中心とした発話行為の分類枠組みを参考にして論を進めたい。例えば、校長が教師に行政研修に参加させるという目標を達成しようと意図して、教師の行政研修参加それ自体を目的とする場合、それは目的合理性に基づく行為となる。これに対し、コミュニケーション的合理性とは、目的が「教師が行政研修に参加する必要性を理解すること」となっていることをさしている。
了解過程における妥当要求として、ハーバーマスは、正当性、誠実性、真理性の3つを挙げた。今日の学校現場で特に問題となるのは真理性に関する合意であろう。歴史教育論争などはその典型といえようし、体罰に関する見解の対立もいまだに多くの学校で見られるところである。真理性に関する合意が不十分でも最終的に了解される場面は、「あの人がこういうのだから、信じよう」という文脈で語られることが多い。
学校文化の創造場面 ことばによる文化的リーダーシップ
「学校文化を創造する」とは、学校の教育活動に関係するものたち(主に教師集団)が共通の背景的知識を所有することにより、了解可能な局面が増える現象を指している。学校文化を創造する戦略には、ことばによるもの以外に物的条件整備によるものや在的、人的条件整備によるものもありうる。それは、「すべてにあきらめていた」という文化を変容させることを意図していた。また、校長が目指す学校文化になかなか同意しない教師がいる場合には、その教師を異動させ、かわりに校長が目指す学校文化に適した教師を迎えるという人的整備のあり方も考えられる。ただ、教師が了解する際の背景的知識に直接働きかける手段としては、ことばがもっとも有効であろう。
東井義雄は赴任した最初の職員会議で「経営方針を聞かせてもらいたい」と要求されたのに対し、「こどもたちに、まず何をしてやらねばならないかは、私が決めるのではなくて、あなた方が決めなければならないことです。」と語りかけている。氷上正は赴任した最初の職員会で明文化した「教師の信条」を掲げ、教師たちへの願いを語っている。師井恒男は着任してから一月後に「日々の高まりを求めて」と題したガリ版刷りを教師たちに配布した。これは「共通の意識に立った教師集団をつくりだす」ことを意図している。
このように、教師集団に対して一方的に話しかけることから、教師集団の文化がすぐに変容することは期待できない。師井が「同調者をいそいでつくるよりも、教師のなかのわずかな人たちの胸にとどめるだけでよかった」というように、校長の理念がすこしずつ浸透することを期待しながら語りかけていると解せよう。
また赴任当初ではなく、改善中途の戦略的意図をもつ発話もある。このような局面を説明するためには、オースティンによる「発語媒介的行為」の概念の方が適しているように思われる。それは、ことばにはことばそのものと、その意図と、そのことばによって生じる結果という3つの側面があるという概念である。
最後に
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/760/1/KJ00000042603.pdf
千々布 敏弥
教育経営学研究紀要、1997、第4号、117-126
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/760/1/KJ00000042603.pdf
はじめに
校長がとる経営戦略の一つとしての「文化的リーダーシップ」に焦点をあて、特に文化的リーダーシップが発現される主たるメディアとして、校長の<ことば>に注目し、その語用論的分析を試みるものである。
ここでは、暫定的な定義として「学校文化とは、学校の組織成員が学校の教育活動に関して意思決定する際の背景となる、知識や価値であり、成員はそれを明確に意識する場合もあるが、意識しない場合もあるもの」、「文化的リーダーシップとは、学校文化を自らの理想と考える方向に変革することを意図するリーダーシップ」とする。
学校文化の意義 ハーバーマスを手がかりに
ここでは、学校文化の意義を考察するのに、ハーバーマスによる、了解の概念を中心とした発話行為の分類枠組みを参考にして論を進めたい。例えば、校長が教師に行政研修に参加させるという目標を達成しようと意図して、教師の行政研修参加それ自体を目的とする場合、それは目的合理性に基づく行為となる。これに対し、コミュニケーション的合理性とは、目的が「教師が行政研修に参加する必要性を理解すること」となっていることをさしている。
了解過程における妥当要求として、ハーバーマスは、正当性、誠実性、真理性の3つを挙げた。今日の学校現場で特に問題となるのは真理性に関する合意であろう。歴史教育論争などはその典型といえようし、体罰に関する見解の対立もいまだに多くの学校で見られるところである。真理性に関する合意が不十分でも最終的に了解される場面は、「あの人がこういうのだから、信じよう」という文脈で語られることが多い。
学校文化の創造場面 ことばによる文化的リーダーシップ
「学校文化を創造する」とは、学校の教育活動に関係するものたち(主に教師集団)が共通の背景的知識を所有することにより、了解可能な局面が増える現象を指している。学校文化を創造する戦略には、ことばによるもの以外に物的条件整備によるものや在的、人的条件整備によるものもありうる。それは、「すべてにあきらめていた」という文化を変容させることを意図していた。また、校長が目指す学校文化になかなか同意しない教師がいる場合には、その教師を異動させ、かわりに校長が目指す学校文化に適した教師を迎えるという人的整備のあり方も考えられる。ただ、教師が了解する際の背景的知識に直接働きかける手段としては、ことばがもっとも有効であろう。
東井義雄は赴任した最初の職員会議で「経営方針を聞かせてもらいたい」と要求されたのに対し、「こどもたちに、まず何をしてやらねばならないかは、私が決めるのではなくて、あなた方が決めなければならないことです。」と語りかけている。氷上正は赴任した最初の職員会で明文化した「教師の信条」を掲げ、教師たちへの願いを語っている。師井恒男は着任してから一月後に「日々の高まりを求めて」と題したガリ版刷りを教師たちに配布した。これは「共通の意識に立った教師集団をつくりだす」ことを意図している。
このように、教師集団に対して一方的に話しかけることから、教師集団の文化がすぐに変容することは期待できない。師井が「同調者をいそいでつくるよりも、教師のなかのわずかな人たちの胸にとどめるだけでよかった」というように、校長の理念がすこしずつ浸透することを期待しながら語りかけていると解せよう。
また赴任当初ではなく、改善中途の戦略的意図をもつ発話もある。このような局面を説明するためには、オースティンによる「発語媒介的行為」の概念の方が適しているように思われる。それは、ことばにはことばそのものと、その意図と、そのことばによって生じる結果という3つの側面があるという概念である。
最後に
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/760/1/KJ00000042603.pdf
木曜日, 1月 04, 2007
全日制高等学校校長のリーダーシップのエスノグラフィー
全日制高等学校校長のリーダーシップのエスノグラフィー
大野裕己
教育経営学研究紀要、1997、第4号、93-104
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/758/1/KJ00000042600.pdf
はじめに
プロフィール
・ H校長の経歴、教員の周辺インタビュー
・ 学校の概略、大都市近郊、生徒数、教職員数(いつ時点で)、大規模校、創設時された背景
・ H校長の赴任時の状況と課題
・ 考察のポイント 「新設校から伝統校へ」というスローガンの下、どのように「新しい学校文化」を形成しようとするのか。さらにこの校長が、20年の実績による「2番手進学校」としての偏った「伝統校」意識に立つ教職員集団や生徒の「古い学校文化」に対して、いかにチャレンジしているかを分析することにある。
H校長の一日の行動
H校長のワーク分析
H校長のコミュニケーションの意味分析
H校長がその組織化の戦略として、まず教頭、事務長を含む管理職3人の連帯を強めて取り組んでいこうとしていることが意識される。テクニカルな組織戦略をもっていることが伺える。
学校とは本来的には理詰めで動く機関であるので、だからこそ不断の屈託ない会話において校長と他者との「情」をつないでいくことが、一方では重要であるとの認識を持っている(9;22 観察者との対話)
「意図的に3人そろって校門を出る」
H校長のリーダー行動は、組織戦略としての管理技術的な側面と、教職員の情緒的な絆を結ぶ文化的な側面の双方を持ち、H校長はこの2つの側面を調和的に表出できていると考えられる。
リーダー行動の場面分析
まとめ
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/758/1/KJ00000042600.pdf
大野裕己
教育経営学研究紀要、1997、第4号、93-104
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/758/1/KJ00000042600.pdf
はじめに
プロフィール
・ H校長の経歴、教員の周辺インタビュー
・ 学校の概略、大都市近郊、生徒数、教職員数(いつ時点で)、大規模校、創設時された背景
・ H校長の赴任時の状況と課題
・ 考察のポイント 「新設校から伝統校へ」というスローガンの下、どのように「新しい学校文化」を形成しようとするのか。さらにこの校長が、20年の実績による「2番手進学校」としての偏った「伝統校」意識に立つ教職員集団や生徒の「古い学校文化」に対して、いかにチャレンジしているかを分析することにある。
H校長の一日の行動
H校長のワーク分析
H校長のコミュニケーションの意味分析
H校長がその組織化の戦略として、まず教頭、事務長を含む管理職3人の連帯を強めて取り組んでいこうとしていることが意識される。テクニカルな組織戦略をもっていることが伺える。
学校とは本来的には理詰めで動く機関であるので、だからこそ不断の屈託ない会話において校長と他者との「情」をつないでいくことが、一方では重要であるとの認識を持っている(9;22 観察者との対話)
「意図的に3人そろって校門を出る」
H校長のリーダー行動は、組織戦略としての管理技術的な側面と、教職員の情緒的な絆を結ぶ文化的な側面の双方を持ち、H校長はこの2つの側面を調和的に表出できていると考えられる。
リーダー行動の場面分析
まとめ
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/758/1/KJ00000042600.pdf
中学校校長のリーダーシップのエスノグラフィー
中学校校長のリーダーシップのエスノグラフィー
露口 健司
教育経営学研究紀要、1997、第4号、85-92
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/757/1/KJ00000042599.pdf
はじめに
ここでは次のようなことに触れる。
・ プロフィール 都市部/近郊 校長の経歴、性格→謹厳・実直→エゴグラムで表現してはどうか
・ 地域性 新興住宅地
・ 学校の概略 生徒数
・ 当時の状況 荒れていた
・ 何を改善テーマとしたか
校長の一日の行動分析
一日のワークの傾向
・ 仕事の種類
・ 滞在場所
書道とは50年来の付き合いで。趣味の時限を越える。書道特有の厳格な世界は、卒業生全員の卒業証書を校長自らが揮毫するという行動を通して、学校空間全体を包む。すなわち学校内において「書」を文化的シンボルとして位置づけているのである。
→校長のシンボル(得意なこと)とその儀式化により、学校文化にアプローチする。カトリック校の「祈り」
清掃活動を重視している。「秩序・規律」という価値を浸透させる方法。第一は、自らが率先して日々清掃活動に取り組み手本を示す方法である。これは自らを価値具現のモデルとして位置づけ学校構成員に影響を与えようとする方法であるといえる。第二は、行事を利用する方法である。
→「秩序・規律」という価値を、主として「書道」「清掃活動」「行事」といった非言語的活動を通して浸透させようとする校長のリーダーシップスタイルが浮かび上がってくる。
コミュニケーションの相手
これまでは特に行動の非言語的側面に焦点をあてて述べてきたが、それでは言語的側面についてはどうであろうか。「該当なし」を除いた割合。「観察者」「学外者」「教頭」。一日において観察した結果。
コミュニケーションの意味分析
「該当なし」を除いた割合。「雑談」「報告」「企画・立案」「連絡・調整」。一日において観察した結果。「報告」「企画・立案」「連絡・調整」の比率が高い。管理技術的リーダー行動に近い意味内容。「学外者」「教頭」に対してこのリーダー行動が発揮されやすい。校長が「受け手」となっている場合に発揮されやすい。例えば、「S課長から電話がありました(8:54・教頭)」といったコミュニケーションに象徴されている。「該当なし」の多くは「挨拶」によって構成されている。
以上の分析結果から、新しい学校文化の形成を意図した校長の価値浸透の方策について整理すると次のようになる。「管理技術的リーダーシップ」を中心とする一方で、「書」を文化的シンボルとして位置づけるといった複合的なスタイルが見出される。リーダーシップ発揮の場面を解釈的に分析することにより、そこに含まれる意味を捉え、上述した校長のリーダーシップの特性を検証することとする。
→量的な分析からタイプを把握し、質的な分析を加え考察を深める。
場面(文脈)の分析
職員朝礼の場面
まずは、校長による「秩序・規律」価値浸透に際してのリーダーシップ発揮の場面についてである。前節では、特に生徒に対する価値の浸透家庭について論じてきた。しかし、この価値の浸透は教職員も対象とされており、それは職員朝礼の場面において顕著に現れている。この日の職員朝礼は、校長の挨拶の後、教頭及び教諭が連絡事項を伝え、最後に校長が行事についての注意を促し退出するという形になっている。ここでは、展開される文脈を追いながら、校長の言説・行動の意味を探っていく。
【フィールドノーツの項目】
・ 時間
・ 場所
・ 相手
・ 観察記録
Ø 場面の説明、( )内に位置関係や会話の内容または行動
Ø 会話者「 」
・ 上記に加え、関与者の省察インタビュー
校長が挨拶する時点において、職員室はすでに厳然たる雰囲気に包まれている。まさしく、校長による「秩序・規律」価値の教職員への浸透であると解釈できよう。
学外者との対話場面
ここでの場面分析によって、①学外者に対して発揮されるリーダーシップの意味を深めるとともに、②校長が地区校長会のメンバーに対しも自らの価値を吹き込み、いわば校長文化といったものを形成しようとしているという、前節において提示した仮説を検証することとする。
結語
注
・ データとして、フィールドノーツ、校長に対する事前インタビュー、生徒・教職員に対する周辺インタビュー、省察インタビュー、学校要覧を最終している。
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/757/1/KJ00000042599.pdf
露口 健司
教育経営学研究紀要、1997、第4号、85-92
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/757/1/KJ00000042599.pdf
はじめに
ここでは次のようなことに触れる。
・ プロフィール 都市部/近郊 校長の経歴、性格→謹厳・実直→エゴグラムで表現してはどうか
・ 地域性 新興住宅地
・ 学校の概略 生徒数
・ 当時の状況 荒れていた
・ 何を改善テーマとしたか
校長の一日の行動分析
一日のワークの傾向
・ 仕事の種類
・ 滞在場所
書道とは50年来の付き合いで。趣味の時限を越える。書道特有の厳格な世界は、卒業生全員の卒業証書を校長自らが揮毫するという行動を通して、学校空間全体を包む。すなわち学校内において「書」を文化的シンボルとして位置づけているのである。
→校長のシンボル(得意なこと)とその儀式化により、学校文化にアプローチする。カトリック校の「祈り」
清掃活動を重視している。「秩序・規律」という価値を浸透させる方法。第一は、自らが率先して日々清掃活動に取り組み手本を示す方法である。これは自らを価値具現のモデルとして位置づけ学校構成員に影響を与えようとする方法であるといえる。第二は、行事を利用する方法である。
→「秩序・規律」という価値を、主として「書道」「清掃活動」「行事」といった非言語的活動を通して浸透させようとする校長のリーダーシップスタイルが浮かび上がってくる。
コミュニケーションの相手
これまでは特に行動の非言語的側面に焦点をあてて述べてきたが、それでは言語的側面についてはどうであろうか。「該当なし」を除いた割合。「観察者」「学外者」「教頭」。一日において観察した結果。
コミュニケーションの意味分析
「該当なし」を除いた割合。「雑談」「報告」「企画・立案」「連絡・調整」。一日において観察した結果。「報告」「企画・立案」「連絡・調整」の比率が高い。管理技術的リーダー行動に近い意味内容。「学外者」「教頭」に対してこのリーダー行動が発揮されやすい。校長が「受け手」となっている場合に発揮されやすい。例えば、「S課長から電話がありました(8:54・教頭)」といったコミュニケーションに象徴されている。「該当なし」の多くは「挨拶」によって構成されている。
以上の分析結果から、新しい学校文化の形成を意図した校長の価値浸透の方策について整理すると次のようになる。「管理技術的リーダーシップ」を中心とする一方で、「書」を文化的シンボルとして位置づけるといった複合的なスタイルが見出される。リーダーシップ発揮の場面を解釈的に分析することにより、そこに含まれる意味を捉え、上述した校長のリーダーシップの特性を検証することとする。
→量的な分析からタイプを把握し、質的な分析を加え考察を深める。
場面(文脈)の分析
職員朝礼の場面
まずは、校長による「秩序・規律」価値浸透に際してのリーダーシップ発揮の場面についてである。前節では、特に生徒に対する価値の浸透家庭について論じてきた。しかし、この価値の浸透は教職員も対象とされており、それは職員朝礼の場面において顕著に現れている。この日の職員朝礼は、校長の挨拶の後、教頭及び教諭が連絡事項を伝え、最後に校長が行事についての注意を促し退出するという形になっている。ここでは、展開される文脈を追いながら、校長の言説・行動の意味を探っていく。
【フィールドノーツの項目】
・ 時間
・ 場所
・ 相手
・ 観察記録
Ø 場面の説明、( )内に位置関係や会話の内容または行動
Ø 会話者「 」
・ 上記に加え、関与者の省察インタビュー
校長が挨拶する時点において、職員室はすでに厳然たる雰囲気に包まれている。まさしく、校長による「秩序・規律」価値の教職員への浸透であると解釈できよう。
学外者との対話場面
ここでの場面分析によって、①学外者に対して発揮されるリーダーシップの意味を深めるとともに、②校長が地区校長会のメンバーに対しも自らの価値を吹き込み、いわば校長文化といったものを形成しようとしているという、前節において提示した仮説を検証することとする。
結語
注
・ データとして、フィールドノーツ、校長に対する事前インタビュー、生徒・教職員に対する周辺インタビュー、省察インタビュー、学校要覧を最終している。
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/757/1/KJ00000042599.pdf
水曜日, 1月 03, 2007
美徳の博物館
「美徳の博物館」について
学校教育の解釈や実践は多様であり、そうした様々な「教育」を所蔵している博物館が学校であるとされています。こうした状況をシステムに落とし込む方法として、価値中立的に様々な「教育」を陳列する「ショッピング・モール・ハイスクール」が紹介されています。学校には何か問題を発見しようとするまなざしが向けられますが、そのまなざしは「美徳の博物館」の所蔵品目が産み、このまなざしにより「作られた危機」が学校を動かすと言われています。学校は教育委員会などを上部とし、各学校を下部とするピラミッド型組織による「タイトな統制」をとるが、様々な「美徳」があることから生じる矛盾に対応するために、実際には厳密にはコントロールしない「ルーズな統制」をとるという考えが紹介され、こうした学校組織の特徴を、社会学的に「脱連結」と表現し、結論では、その「あいまいさ」を積極的に評価しています。
私が関心をもったのは学校組織がそれ自身で原動力を作り出している仕組みです。学校組織が所蔵する「美徳」とは、それ自身で目標となり組織を動かし得ます。一方で、「美徳」が実現していない領域を「問題」とすることで組織を刺激します。例えば、戦後日本の「高度経済成長を支える人材養成」という美徳的目標はそれ自身で学校組織を動かしました。しかし、高度経済成長が落ち着いた1970年代からは、「校内暴力問題」「いじめ問題」「学力低下問題」など、「美徳」と照らしてある事象を「問題」とすることが、学校組織が動くエネルギーを生んだと考えられます。このシステムは、アメリカ映画で批判的に描かれる「教会」の支配体制に似ています。「教会は、美徳をもって人を集め、罪悪を自ら作りそれを許すことで権威を示し人を支配する」、という体制です。日本の文部科学省が「未履修」を問題としたことも、そうした権威を創出する手段と考えることができます。ミクロな視点で見れば、校則や頭髪指導というのもそうした権威を作るツールであるといえます。しかし、学力の高い生徒が集まる学校であるほど自律的で、権威を示すツールは必要でなくなります。権威の代わりに、その学校の文化や風土が組織や個人を動かします。この権威と自律のギャップも「あいまいさ」と言えるのではないかと考えました。
学校教育の解釈や実践は多様であり、そうした様々な「教育」を所蔵している博物館が学校であるとされています。こうした状況をシステムに落とし込む方法として、価値中立的に様々な「教育」を陳列する「ショッピング・モール・ハイスクール」が紹介されています。学校には何か問題を発見しようとするまなざしが向けられますが、そのまなざしは「美徳の博物館」の所蔵品目が産み、このまなざしにより「作られた危機」が学校を動かすと言われています。学校は教育委員会などを上部とし、各学校を下部とするピラミッド型組織による「タイトな統制」をとるが、様々な「美徳」があることから生じる矛盾に対応するために、実際には厳密にはコントロールしない「ルーズな統制」をとるという考えが紹介され、こうした学校組織の特徴を、社会学的に「脱連結」と表現し、結論では、その「あいまいさ」を積極的に評価しています。
私が関心をもったのは学校組織がそれ自身で原動力を作り出している仕組みです。学校組織が所蔵する「美徳」とは、それ自身で目標となり組織を動かし得ます。一方で、「美徳」が実現していない領域を「問題」とすることで組織を刺激します。例えば、戦後日本の「高度経済成長を支える人材養成」という美徳的目標はそれ自身で学校組織を動かしました。しかし、高度経済成長が落ち着いた1970年代からは、「校内暴力問題」「いじめ問題」「学力低下問題」など、「美徳」と照らしてある事象を「問題」とすることが、学校組織が動くエネルギーを生んだと考えられます。このシステムは、アメリカ映画で批判的に描かれる「教会」の支配体制に似ています。「教会は、美徳をもって人を集め、罪悪を自ら作りそれを許すことで権威を示し人を支配する」、という体制です。日本の文部科学省が「未履修」を問題としたことも、そうした権威を創出する手段と考えることができます。ミクロな視点で見れば、校則や頭髪指導というのもそうした権威を作るツールであるといえます。しかし、学力の高い生徒が集まる学校であるほど自律的で、権威を示すツールは必要でなくなります。権威の代わりに、その学校の文化や風土が組織や個人を動かします。この権威と自律のギャップも「あいまいさ」と言えるのではないかと考えました。
わが国における校長の文化的リーダーシップの萌芽
わが国における校長の文化的リーダーシップの萌芽
-中澤忠太郎著「校風論」(明治44年)の紹介-
元兼正浩
教育経営 教育行政学研究紀要、1996、第3号、85-90
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/819/1/KJ00000685486.pdf
【内容抜粋】ほぼ原文をそのまま引用しています。
はじめに
本研究室・共同研究会で学校文化、教師文化、さらには学校組織文化に関する先行研究を渉猟したところ、「校風」を直接に論じているものはあまり多くないことが判明した。ただ、管見の限りでは、校風はその個別性ゆえに学校の組織風土・組織文化研究の範疇として位置づけられているようである。(今津孝次郎「変動社会の教師教育」、名古屋大学出版会、1996、154ページ)
本書が著された明治末期(40年代)は、従来(30年代)の放棄解釈中心の「学校管理法」に対して、「学校経営論」(の萌芽)が台頭する時期である。同時期には、校長の主観的な役割が期待されていた(山松鶴吉「模範的小学校経営の実際」、同文館(東京)1910)。本書もその流れに位置するものとみられ、校長自身が校風に積極的に働きかけることが随所で期待されている。
校風の研究は、当時すでに理論的にはいわゆる学校改善との関わりでとらえられていたようである。このことを、学校の雰囲気や組織文化を変える、いわば文化的リーダーシップに近いものとして紹介者は注目しているのである。
本書の概要(総論)
校風の定義
筆者の中澤は、校風を「其校精神の統合」とし、その内容は徳目・徳行(勤勉、正直、清潔、勇気など)に関連する多様なものであり、それらが馴致同化のベクトルとして生徒に発せられる構造と捉えている。そこでは、各徳目、各徳行の関連状況、連絡が重要であると指摘されている。なお、ここで注意すべきは、本書が著された時代的な制約もあって、学校が強化機関として捉えられている点である。ゆえに校風は「教化薫陶の力のある一種の潜勢力」とも定義されており、この潜勢力に感じたものはかならずや「同化」されると筆者は指摘する。しかしながら、校風は一時的、かつ部分的な単なる「訓化」ではなく、永遠の教育力としてここでは捉えられているのである。
校風の感化・発達・養成
校風のない学校というのは存在しないだろうが、校風の衰えている学校は数多いであろうと筆者は指摘する。つまり、校風の衰微が問題になる。そのような学校にとっては、校風の感化力こそが重要であり、教師らは一致・協力してその発揚に焦心すべきであると指摘されている。ここでは、校風の感化について、筆者は「校風の感化は、精神的であり、自然的であり、普遍的であり、強大である」と4点を挙げている。
校風は、最初に作成されたものに限定されるべきではなく、量的にも増加し、質的にも充実、精錬、熟成すべきものであり、これを本書では校風の発達として捉えている。「校風の発達には熟慮を要する」とし、校風のなかには弊風という校風も存在するため、悪しき傾向が認められる点はそれを根本的に排除するよう奨励すべきとされる。「校風の発達は漸進的であるべき」とし、校長・教師はその養成・発達にあたって根気が必要とされる。「校風を発達させる順序如何」について、校風の扶植(現状把握と初歩の経営、職員間の統一)→練習時期(実行練習を競わせる)→完成期(全校児童の歩調を揃え、美風を作る)という順序で発達するものとされる。
校風の養成については、とりわけ教育者の人格が校風に与える影響は大きく、その直接的影響力はあらゆる言説を超えるものとされる。それゆえ、全校教師が生徒の徳育の養成を直接に行うべき、と指摘されている。また、父兄や卒業生といった外部と連絡をとり、外部からの補助者を利用して校風の養成をはかることもなおざりにしてはならないと提言されている。
本書の概要(各論)
校長・教師の人物と校風
学校の主脳である校長には教育教授に関する一切の指導と管理施設に関するあらゆる経営が期待されており、したがって、教授の統一と訓育管理の方針作成は校長の主要な役割であった。単なる事務処理や外交に巧みなだけでは不十分と言及されている。ところが、校長が外部的事務に力点を置き、内部の仕事を疎かにしているのが当時の状況であった。
また、校長には一校の教訓について確乎たる理想をもつことが必要とされる。各教師の努力と校長自身の理想とを徐々に調和的に統一(結合)することで、当該校の問題の解決をはかるべきという。
ただ、もちろんひとり校長のみによって学校の改善は実現するわけではなく、教師(集団)の協働は不可欠である。教師の人物・学識もまた教育事業の向上発展のためには問われるべきである。それゆえ教師の人物の陶冶、学識の収得のためには修養もしくは研究、すなわち研修が重要であることが指摘されている。
学校の改善は協同事業であるゆえに、全校教職員の精神的団結が最も望まれている。特に、校長と教職員がお互いに尊重し、信頼しあう「合成的の感化力」は無限の効果を日教育者である児童・生徒に与えるという。
そのためには、永年勤続が不可欠となる。だが、当時は少しでも棒給の高い学校へと異動が頻繁に行われていたため、校風の養成が容易ではなく、このことが問題点として指摘されている。
教授論と校風
教授方針の定が主因(補導)となって校風を作成することがある。また逆に、校風の内容に因由して方針を定めることもある。いずれが主でいずれが従かはともかくとして、校風が認められる学校には必ずこの図式が成り立っているという。
緊要必須の教授方針として、①教授方法を親切にすべし、②教授は確実に、応用自在にすべし、③教授に誠意あるべし、④鍛錬主義をもって教授すべし、の4点が挙示されている。
校長は校風の刷新をはかるため、講堂修身の場あるいは朝礼の場で、系統(統一的)にかつ反省的にかつ具体的に訓諭をおこなわなければならないと指摘する。また、教師の統一も重要で、教師は校長の訓諭内容を十分に了解し、実践し、これが校風に帰結するよう努力しなければならないと指摘する。
訓育(校訓含む)と校風
筆者は級訓もその学級の長所、短所、発達程度をわきまえたものであれば制定してもよいのではないかと言及する。ただその場合、級訓と校訓との間の調和がきわめて重要となる。校訓や級訓を制定するにあたっては、学校の理想を案じる必要があり、それは校長の役割とされる。学校の理想は校長の頭脳から演繹されるべきものだからである。また、同時にそれは教職員の知恵をしぼった帰納的な目標でもあるべきもので、校長はそうした意見の結集を図らなければならない。理想のある学校の校風は生気を帯び、進歩的で、かつ改善的であり、校風の改良や発揚に結びつくものと指摘される。訓育が校風の養成に価値を発揮するために次の従原則が挙げられている。
① 自然に従うべし
② 児童の境遇を知悉(ちしつ、詳しく知ること)すべき
③ 児童に密接すべし
④ 熱烈なる愛情を以て接すべし
⑤ 実行主義なるべし
⑥ 身を以て範を垂るべし
⑦ 性善主義を以て訓練すべし
⑧ 活動主義なるべし
⑨ 積極主義なるべし
⑩ 永続的方針にて訓練すべし
感化と校風
教育事業はある程度までは感化であり、人を教化しようとするのは二次的とされる。まずは教師が熱誠・温情・公明・清浄などの各要素を披露する赤心から感化ははじまる。また、卒業生には校風の発揮に努力する義務が残っており、卒業生の逸話(「英雄的生徒」の神話はインフォーマルな学校文化の象徴の一つ)を感化の材料に使うことは有用であるという。
さらに、郷黨(きょうとう、党の旧字、ふるさとの意)における先進の助力や家庭の賛助、社会教育の力などの諸勢力によって学校教育の解決をはかることが不可欠とされ、例えば偉人の活用、家庭との連絡などの必要性が挙げられている。また、校長・教師たちが学校事業のみならず、市町村の教化事業にまで悉砕するのは、①社会改善のためばかりでなく、これによって②学校教育をよくするためであると指摘されている。以上のように、教育の効果は学校だけでは不十分であり、学校・家庭・社会が三身一体となって協力して取り組んでいかなければならないとされているのである。
また、校風に一定の影響を及ぼしているものに学校の歴史的感化がある。例えば、歴代校長の精神は一種の遺訓として後代の学校経営者に引き継がれることがよくある。また、伝統校の所在地(校地)は、その郷土における歴史上の因縁のある場所のことが多く、それゆえ古英雄の偉業から範とすべきものを採択することも容易となる。このようにして歴史的感化を助成することは校風の発展に大いに貢献すると述べられている。
本書の概要(結論)
「校風問題の解決は、主として、有効なる教育の永続的実施と、教育事業の有機的統一と、教育当事者の精神的努力と、児童生徒の自覚的発奮との四者の調和宜しきを得、其相互の関係をば阻害するもの無く密接せしめ、進行せしむるにありと断言するものである。」と筆者は述べている。
ここでいう四者を広義の学校文化を形成する四つの下位文化として捉え直すことはできないだろうか。つまり、「有効なる教育」をカリキュラム文化の改善と、「教育事業の有機的統一」を組織文化の改善と、「教育当事者の精神的努力」を教員文化の改善と、「児童生徒の自覚的発奮」を生徒文化の改善と言い換えることにより、それぞれの領域の調和的な改善が、「校風論」を軸として当時から求められていたものと受け止めることはできないかと紹介者は考えるのである。
おわりに
校長と校風の関係、校風の改善に果たすべき校長の役割がたびたび論じられていることは看過できない。例えば、「学校の主脳」である校長には部下職員の長所を認めて短所を矯正して、各教師の努力と自身の理想との結合を図ることが期待されていた。また、経営管理のみならず、教授・訓練のすべてにおいて、互いの信頼にもとづく部下教員への指導が理想として掲げられていた。これらは校長の(間接的な)教育的リーダーシップに対する要請とみられる。
また、学校の理想を案じることも校長の役割として非常に高く期待されていた。校長自身の教育信条に教職員の意見を統合させながら当該校のビジョンをえがき、そのために「校風」を養成したり、感化させたり、発達させたりすることは、すなわち学校の組織文化に校長が主体的かつ積極的に働きかけることにほかならない。その意味でこの一連の校風とのかかわりあいを校長の文化的リーダーシップの萌芽的形態として紹介者は捉えるのである。
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/819/1/KJ00000685486.pdf
-中澤忠太郎著「校風論」(明治44年)の紹介-
元兼正浩
教育経営 教育行政学研究紀要、1996、第3号、85-90
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/819/1/KJ00000685486.pdf
【内容抜粋】ほぼ原文をそのまま引用しています。
はじめに
本研究室・共同研究会で学校文化、教師文化、さらには学校組織文化に関する先行研究を渉猟したところ、「校風」を直接に論じているものはあまり多くないことが判明した。ただ、管見の限りでは、校風はその個別性ゆえに学校の組織風土・組織文化研究の範疇として位置づけられているようである。(今津孝次郎「変動社会の教師教育」、名古屋大学出版会、1996、154ページ)
本書が著された明治末期(40年代)は、従来(30年代)の放棄解釈中心の「学校管理法」に対して、「学校経営論」(の萌芽)が台頭する時期である。同時期には、校長の主観的な役割が期待されていた(山松鶴吉「模範的小学校経営の実際」、同文館(東京)1910)。本書もその流れに位置するものとみられ、校長自身が校風に積極的に働きかけることが随所で期待されている。
校風の研究は、当時すでに理論的にはいわゆる学校改善との関わりでとらえられていたようである。このことを、学校の雰囲気や組織文化を変える、いわば文化的リーダーシップに近いものとして紹介者は注目しているのである。
本書の概要(総論)
校風の定義
筆者の中澤は、校風を「其校精神の統合」とし、その内容は徳目・徳行(勤勉、正直、清潔、勇気など)に関連する多様なものであり、それらが馴致同化のベクトルとして生徒に発せられる構造と捉えている。そこでは、各徳目、各徳行の関連状況、連絡が重要であると指摘されている。なお、ここで注意すべきは、本書が著された時代的な制約もあって、学校が強化機関として捉えられている点である。ゆえに校風は「教化薫陶の力のある一種の潜勢力」とも定義されており、この潜勢力に感じたものはかならずや「同化」されると筆者は指摘する。しかしながら、校風は一時的、かつ部分的な単なる「訓化」ではなく、永遠の教育力としてここでは捉えられているのである。
校風の感化・発達・養成
校風のない学校というのは存在しないだろうが、校風の衰えている学校は数多いであろうと筆者は指摘する。つまり、校風の衰微が問題になる。そのような学校にとっては、校風の感化力こそが重要であり、教師らは一致・協力してその発揚に焦心すべきであると指摘されている。ここでは、校風の感化について、筆者は「校風の感化は、精神的であり、自然的であり、普遍的であり、強大である」と4点を挙げている。
校風は、最初に作成されたものに限定されるべきではなく、量的にも増加し、質的にも充実、精錬、熟成すべきものであり、これを本書では校風の発達として捉えている。「校風の発達には熟慮を要する」とし、校風のなかには弊風という校風も存在するため、悪しき傾向が認められる点はそれを根本的に排除するよう奨励すべきとされる。「校風の発達は漸進的であるべき」とし、校長・教師はその養成・発達にあたって根気が必要とされる。「校風を発達させる順序如何」について、校風の扶植(現状把握と初歩の経営、職員間の統一)→練習時期(実行練習を競わせる)→完成期(全校児童の歩調を揃え、美風を作る)という順序で発達するものとされる。
校風の養成については、とりわけ教育者の人格が校風に与える影響は大きく、その直接的影響力はあらゆる言説を超えるものとされる。それゆえ、全校教師が生徒の徳育の養成を直接に行うべき、と指摘されている。また、父兄や卒業生といった外部と連絡をとり、外部からの補助者を利用して校風の養成をはかることもなおざりにしてはならないと提言されている。
本書の概要(各論)
校長・教師の人物と校風
学校の主脳である校長には教育教授に関する一切の指導と管理施設に関するあらゆる経営が期待されており、したがって、教授の統一と訓育管理の方針作成は校長の主要な役割であった。単なる事務処理や外交に巧みなだけでは不十分と言及されている。ところが、校長が外部的事務に力点を置き、内部の仕事を疎かにしているのが当時の状況であった。
また、校長には一校の教訓について確乎たる理想をもつことが必要とされる。各教師の努力と校長自身の理想とを徐々に調和的に統一(結合)することで、当該校の問題の解決をはかるべきという。
ただ、もちろんひとり校長のみによって学校の改善は実現するわけではなく、教師(集団)の協働は不可欠である。教師の人物・学識もまた教育事業の向上発展のためには問われるべきである。それゆえ教師の人物の陶冶、学識の収得のためには修養もしくは研究、すなわち研修が重要であることが指摘されている。
学校の改善は協同事業であるゆえに、全校教職員の精神的団結が最も望まれている。特に、校長と教職員がお互いに尊重し、信頼しあう「合成的の感化力」は無限の効果を日教育者である児童・生徒に与えるという。
そのためには、永年勤続が不可欠となる。だが、当時は少しでも棒給の高い学校へと異動が頻繁に行われていたため、校風の養成が容易ではなく、このことが問題点として指摘されている。
教授論と校風
教授方針の定が主因(補導)となって校風を作成することがある。また逆に、校風の内容に因由して方針を定めることもある。いずれが主でいずれが従かはともかくとして、校風が認められる学校には必ずこの図式が成り立っているという。
緊要必須の教授方針として、①教授方法を親切にすべし、②教授は確実に、応用自在にすべし、③教授に誠意あるべし、④鍛錬主義をもって教授すべし、の4点が挙示されている。
校長は校風の刷新をはかるため、講堂修身の場あるいは朝礼の場で、系統(統一的)にかつ反省的にかつ具体的に訓諭をおこなわなければならないと指摘する。また、教師の統一も重要で、教師は校長の訓諭内容を十分に了解し、実践し、これが校風に帰結するよう努力しなければならないと指摘する。
訓育(校訓含む)と校風
筆者は級訓もその学級の長所、短所、発達程度をわきまえたものであれば制定してもよいのではないかと言及する。ただその場合、級訓と校訓との間の調和がきわめて重要となる。校訓や級訓を制定するにあたっては、学校の理想を案じる必要があり、それは校長の役割とされる。学校の理想は校長の頭脳から演繹されるべきものだからである。また、同時にそれは教職員の知恵をしぼった帰納的な目標でもあるべきもので、校長はそうした意見の結集を図らなければならない。理想のある学校の校風は生気を帯び、進歩的で、かつ改善的であり、校風の改良や発揚に結びつくものと指摘される。訓育が校風の養成に価値を発揮するために次の従原則が挙げられている。
① 自然に従うべし
② 児童の境遇を知悉(ちしつ、詳しく知ること)すべき
③ 児童に密接すべし
④ 熱烈なる愛情を以て接すべし
⑤ 実行主義なるべし
⑥ 身を以て範を垂るべし
⑦ 性善主義を以て訓練すべし
⑧ 活動主義なるべし
⑨ 積極主義なるべし
⑩ 永続的方針にて訓練すべし
感化と校風
教育事業はある程度までは感化であり、人を教化しようとするのは二次的とされる。まずは教師が熱誠・温情・公明・清浄などの各要素を披露する赤心から感化ははじまる。また、卒業生には校風の発揮に努力する義務が残っており、卒業生の逸話(「英雄的生徒」の神話はインフォーマルな学校文化の象徴の一つ)を感化の材料に使うことは有用であるという。
さらに、郷黨(きょうとう、党の旧字、ふるさとの意)における先進の助力や家庭の賛助、社会教育の力などの諸勢力によって学校教育の解決をはかることが不可欠とされ、例えば偉人の活用、家庭との連絡などの必要性が挙げられている。また、校長・教師たちが学校事業のみならず、市町村の教化事業にまで悉砕するのは、①社会改善のためばかりでなく、これによって②学校教育をよくするためであると指摘されている。以上のように、教育の効果は学校だけでは不十分であり、学校・家庭・社会が三身一体となって協力して取り組んでいかなければならないとされているのである。
また、校風に一定の影響を及ぼしているものに学校の歴史的感化がある。例えば、歴代校長の精神は一種の遺訓として後代の学校経営者に引き継がれることがよくある。また、伝統校の所在地(校地)は、その郷土における歴史上の因縁のある場所のことが多く、それゆえ古英雄の偉業から範とすべきものを採択することも容易となる。このようにして歴史的感化を助成することは校風の発展に大いに貢献すると述べられている。
本書の概要(結論)
「校風問題の解決は、主として、有効なる教育の永続的実施と、教育事業の有機的統一と、教育当事者の精神的努力と、児童生徒の自覚的発奮との四者の調和宜しきを得、其相互の関係をば阻害するもの無く密接せしめ、進行せしむるにありと断言するものである。」と筆者は述べている。
ここでいう四者を広義の学校文化を形成する四つの下位文化として捉え直すことはできないだろうか。つまり、「有効なる教育」をカリキュラム文化の改善と、「教育事業の有機的統一」を組織文化の改善と、「教育当事者の精神的努力」を教員文化の改善と、「児童生徒の自覚的発奮」を生徒文化の改善と言い換えることにより、それぞれの領域の調和的な改善が、「校風論」を軸として当時から求められていたものと受け止めることはできないかと紹介者は考えるのである。
おわりに
校長と校風の関係、校風の改善に果たすべき校長の役割がたびたび論じられていることは看過できない。例えば、「学校の主脳」である校長には部下職員の長所を認めて短所を矯正して、各教師の努力と自身の理想との結合を図ることが期待されていた。また、経営管理のみならず、教授・訓練のすべてにおいて、互いの信頼にもとづく部下教員への指導が理想として掲げられていた。これらは校長の(間接的な)教育的リーダーシップに対する要請とみられる。
また、学校の理想を案じることも校長の役割として非常に高く期待されていた。校長自身の教育信条に教職員の意見を統合させながら当該校のビジョンをえがき、そのために「校風」を養成したり、感化させたり、発達させたりすることは、すなわち学校の組織文化に校長が主体的かつ積極的に働きかけることにほかならない。その意味でこの一連の校風とのかかわりあいを校長の文化的リーダーシップの萌芽的形態として紹介者は捉えるのである。
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/819/1/KJ00000685486.pdf
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