近代に特徴的な教育文化について、特に問題となると考えられる点は、「教育について考え語る際に、自分をその状況の外に置き、自分への問いかけを忘れてしまいがちになること」であるといえます。
そこで、近代の教育文化を支える考え方や見方を、「まなざし」と呼び、その特徴を見ていきます。
一つは、「発見・分類・一望のまなざし」です。これは、発見したものを自分の知識世界に網羅し、自分の頭の中に地図あるいは知識の一覧表を作り上げようとするまなざしです。
このまなざしは、「見ることは知ることである」「発見されて初めて存在を認められる」という教育文化のパターンを生む背景となっています。
同時に、「見えないものは知りえないものとして問題にしない」、「発見された対象は、発見者が名付け、扱うことができる」という考え方を生み出す背景となります。
もう一つは、「観察・計測・記録のまなざし」です。これは、新しい世界で出会った、それまでは未知であったものを、観察し計り、記録することで、発見したものをより正確にしようとする考え方です。
このまなざしは、「相手と距離を置き客観的に観察する」「あらゆるものを均質な単位によって換算する」「見たのもを記録し、蓄積する」という教育文化のパターンを生む背景となっています。
同時に、「自らを観察者として状況の外の立場に設定する」「生徒の理解や発達を計量可能な能力のみに限定して判断する」「相手との関係性よりも、相手を観察対象として記録することを第一に考える」という考えを生み出す背景となります。
もう一つは「制作・計画・作用のまなざし」です。これは、先に挙げたような「まなざし」に基づけば、人間を自在に制作することが可能であるとするまなざしです。
このまなざしは、「人間の成長発達の過程は人間によって統御することが可能である」という教育文化のパターンを生む背景となっています。
同時に、「計画どおりにいかないということを、失敗や欠陥としてその相手を切り捨てる。」という考えを生み出す背景となります。
上記で見てきたような「まなざし」には、教育は自分と相手との相互の関わりのなかで営まれるものである、という視点が欠けています。それは、人間が人間を作るということの限界に対するセンスが鈍くなることも意味しています。このことが、近代に特徴的な教育文化の問題であるといえます。
0 件のコメント:
コメントを投稿