例えば、医者が患者の身体を診察する。このとき、医者は患者という他人の身体を見ている。医者の語る身体は、診察の対象である。そのように客体(対象)となった身体を「肉体」と呼ぶ。
一方で、患者自身にとってのは「自分のからだ」である。それは今痛んでいるからだである。冷静に観察などしていられない。痛くて仕方ない。からだとは、その人自身である、自分がからだである、といえる。
ということは、たとえ自分のからだであっても、自分で自分を観察している場合は、「肉体」である。「からだ」は見ることができない。からだは生きることができるだけである。そして「からだ」は対象にならない。一人称の主語(私)として体験されるだけなのである。
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