身体にとって感覚の生物学的意義とは、感覚を通じて身体がおかれた環境を正確に判断し、正しい行動に結びつけることであると言えます。したがって、感覚が失われることの生物学的意味とは、単純に「感じが薄い」ということではなく、そうした判断を損ない、「環境に適応するための正しい行動をする際に大きな影響を与える」ことだと言えます。
通常わたしたちは物があれば、見たり、聞いたり、触ったりすることによって、それが何であり、それがどこにあり、どのような形をしているかを判断することができます。また、寒ければ厚着をしたり、暑ければ服を脱ぐという行動をとります。これらはいずれも身体にとって外的環境の情報に関わる感覚ですが、食べ過ぎればおなかが痛くなるように、身体の内部環境についての情報も感覚を通じて知ることができます。感覚が失われることとは、こうした判断ができなくなり、結果適切な行動ができなくなることを意味します。
さらに言えば、温度感覚が失われると火傷につながる危険性が生じますし、痛覚が失われると自らの体に危害が加わっているのに気付かない、という問題が生じます。触覚や圧覚を失えば、細かい作業をしにくくなると考えられます。こうした表在感覚以外にも、脚についての運動感覚や位置感覚といった深部感覚が失われることが転倒の原因になることも考えられます。平衡感覚が失われれば姿勢を正しく保つことが困難になるでしょう。
このように感覚を失うことは、ある感覚を感じなくなるということばかりではなく、運動機能障害という様式で現れてくることもあります。
感覚は、意識に上りさまざまな精神活動と結びつきます。視覚情報は最後には記憶と照らし合わせてそれがなんと言う名前を持った物体であるか、という判断と結びつきます。また、聴覚情報は相手の言葉が何を意味しているのかという理解に結びつきます。
このように、ヒトは耳で言葉を聞いて、文字を見て言語を習得し、話す・書くという行動につなげます。そればかりではなく、習得した言語を用いて物事を考えたり、判断したりするような行動をとります。
言語を用いたコミュニケーションはこれらの感覚機能に依存しているといえます。したがって、これら感覚を失うことはこうしたコミュニケーションや思考にも支障をきたすことを意味すると言えます。
0 件のコメント:
コメントを投稿