金曜日, 11月 24, 2006

死ぬこと・生きることをめぐる教育文化

人間は自分がこの世に誕生したときと、この世から去るときのことについては、語ることができない。「死ぬこと」は、誰しもに訪れる事柄だが、それは言葉で体験や経験として語られることを拒否するかのように伝えるには難しい事柄です。国家は、その「死」を操作可能なものとするため、死亡時刻と死因を記録し、社会から隔離します。家族の死、友人の死、知人の死、隣家の死、人の死はその人との生前のかかわりの深さによって異なります。死は、その人とのこの世の繋がりの終焉を意味しています。その人の死を考えることは、その人との繋がりを見つめなおすことです。それは、将来の自分の死のイメージとなります。目の前の死を、科学的に心臓が停止することと、と理解するだけでは、そうしたイメージは十分に描けないのではないでしょうか。さらにいえば、生きることが良いことで、死ぬことが悪いこと、というような関係さえ、一方的なイメージに過ぎないのかもしれません。このような乏しいイメージしかないままに、「いのちを大切にしよう」と言われても、その言葉は身体に染み込まないのではないでしょうか。

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