感覚の生物学的意義とは、感覚を通じて進退が置かれた観光を正確に判断し、正しい行動に結びつけることです。
私達は物があれば、見たり、聞いたり、触ったりすることによって、それが何であり、それがどこにあり、どのような形をしているか判断することができます。また、寒ければ厚着したり、暑ければ服を脱ぐということも感覚を基にした適切な行動といえます。これらは身体にとって外的環境の情報に関わる感覚です。
一方で、食べ過ぎればおなかが痛くなるように、身体の内部環境についての情報も感覚を通じて知ることができます。
これらはいずれも意識にあがる感覚ですが、意識に上らない感覚神経を通じた情報もあります。私達は自転車に乗る場合にも、体がこちらに傾いたから反対側に直そうなどと考えているわけではありません。また、何か目の前に飛んでくれば自然に目を閉じますが、これも意識して目を閉じるわけではありません。このような行動を反射的行動と呼びます。つまり、意識に上らなくても感覚神経によって伝えられる情報は適切な行動のために重要であることを示しています。運動と感覚は目的ある行動というものを通じて一体化したものであり、運動が感覚なしに独立した存在ではないといえます。
ヒトについては、感覚にもう1つの重要な役割があります。言語を通じたコミュニケーションに感覚が深く関わっていることです。ヒトは生まれたときから耳で言葉を聞くことから言語を習得します。そして、文字を見て言語を読み書きするようになります。このようにして習得した言語を用いて物事を考えたり、判断したりするようなり、その意味でも感覚の果たす役割は大きいといえます。
逆に言えば、感覚を失うということは、単に「感じが薄い」というようなことでなく、「行動に大きな影響を与える」ということで重大であるといえます。
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