金曜日, 11月 24, 2006

まなざし

例えば、学校現場で「生徒の問題行動が気になる」とか「学級崩壊が止まらない」という言葉を私たちが口にすることがある。
これは、そうした状況を、ある一定の価値の視点(まなざし)に立ったときの認識である。ここに、近代科学の背景にある「観察のまなざし」や、「制作のまなざし」の発生をみることができる。
 「観察のまなざし」は、「相手と距離を置き客観的に観察する」という教育文化のパターンを、「制作のまなざし」は「人間の成長発達の過程は人間によって統御することが可能である」という教育文化のパターンを生み出す。
 一方で、「観察のまなざし」は私たち自身を問題状況の外に立たせる。また、「制作のまなざし」は私たちの統御できないことは問題だという認識を持たせる。
こうしたパターンは、次のような近代的な変質に至る。すなわち、当事者ではなく、「こうあるべきだ」と外から言う評論家やスローガンを唱えるだけの政治家のような教育関係者を産む教育文化である。結果、問題を現場で解決にあたる人間が減り、固定化された問題を語る言葉に馴れて耳を貸す人間が減り、問題である事象は解決されないままとなる危険性がある。
このように変容した教育文化を深耕し、問題を解決するには二つのまなざしをもつ必要がある。
ひとつは、「横のまなざし」である。教育現場の問題を、教育的視点だけで見るのでなく、社会や家庭、食生活などさまざまにリンクする教育以外の視点からも捉えていく構えである。
もうひとつは、「縦のまなざし」である。問題を語る言葉の背景にある事象は何か、なぜそのことを「問題」と捉えるようになったのか、というように、問題を1つ上に昇った視点で見る構え(メタ認識)である。

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